小学生も公平性を考える時代
ここ数日、このブログで多様性について触れています。日本に住んでいて、日本で働いていると気付き難いのかもしれませんが、世の中はどんどん多用化しています。どこの家庭でもだいたいこんな感じ、という思い込みを持つことはかなり危険です。一昔前と異なり、各ご家庭毎に違いがありますし、個人の趣味嗜好や事情も随分と多岐に渡るようになっています。そんな社会背景の中、成長して未来を担う今の小学生は、私たちが小学生のときとは比べ物にならないほどよく考えて物事を捉えて自身の立ち振舞を決める必要があります。例えば公平性だなんてことも考えることに。
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入試の問題
先日、とある私立中学校の入試問題の解説を聞く機会がありました。うちの子どもたちはまだ小学生 3 年生なので今からその問題を解くようなことはありません。取り敢えず私が中学受験の問題の感じを知るために解説を聞いていたくらいです。算数、国語、理科、社会。いずれの問題も普通の小学生が解くような穴埋め問題とかではなく、問題文を素早くしっかり読んでしっかり考えて答えるような設問が多く、何だか大学受験の問題の解説でも聞いているような錯覚すらしました。うちの子どもたちが 6 年生になったときにこんな問題に取り組んでいるかと思うとゾッとします。大丈夫なのだろうかと…
公平性とは何か
説明の中に、実際にあった社会の問題の解説がありました。これが非常に興味深いものでした。学校の生徒会長だか何だかを選挙で選ぶというお話。各候補が掲げるマニュフェストがあるのですが、それぞれがそれぞれの考え方でフェアを掲げています。その中で、教室のロケーション的に不利な学年を無条件に少し優遇する案を掲げている候補者が居ます。そしてこの案と同じ位置付けの世間一般の案を選ぶという問題があり、その問いの答えが “女性比率の少ない議員や重役に女性を配備すること” といったニュアンスのモノだったのです。まさにこれ、世間一般で言われている話。そう、結局は無条件な底上げなのですが、それが必要な理由はターゲットとなる方々が標準と比べて不利な状況にあるところを底上げして他と揃えるという話。女性優遇の逆差別という意見もありますが、差別ではなく底上げして男性と同じ機会を与えているのです。
こういった話を題材に、しかも人生も若干左右する入試の問題で頭を使う。何とも末恐ろしい感じです。勉強に励む小学生、将来は今の大人を一蹴しそうなくらい優秀になりそう心強いですね。