抽選すら当たって当然と錯覚
このブログは主に育児生活を中心に綴っています。最近の悩みは専ら、子どもたちの心だったり学力の成長だったりします。3 歳だとか 4 歳になるまでは健康だとか病状が悩みの中心だったのですが、それも落ち着くと違うところに目と頭が行くモノですね…。
先日も記載しましたが、うちの子どもたちは精神年齢幼く、特に竜太が酷い感じ。我儘です。そしてその我儘が通って当たり前。叶えて貰えて当たり前と錯覚しています。勿論、そうではないと頭では理解しつつも、一つ一つの周りからの好意に感謝と遠慮が出て来ません。更に、竜太は抽選の類も当たって当たり前と思うのでタチが悪いです。
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抽選に多大な期待
本当に純粋だなぁと可愛らしく思う一方、今の子どもたちの年齢からすると不安になります。特に竜太。懸賞の抽選申し込みも、当選したか否か物凄く気にします。当選発表無しで発送されるタイプのモノが多いと思いますが、発送時期をずっと気にして当たるかどうかずっと気にしています。大人になるとそういった純粋さも消えてしまい、現実的に確立を考えてしまうので、基本的には当たらず、当たればラッキーくらいに期待せずにむしろ忘れるくらいしますが、竜太はかなり固執します。
また、先日、とあるメディアの番組の撮影の協力募集が子どもたちの通う学校であり、竜太も竜子も申し込むことに。といっても申し込んだ全員が参加できるのではなく、抽選となるタイプ。その取り組みに物凄く興味を持って楽しみにまでしていた竜太でしたが、これも当たるかどうか物凄く気にして期待していました。
抽選外れて物凄い悔しがり
そんな感じで多大な期待を持ってしまっている分、抽選外したときのショックも大きいようです。そこまでか、と思う程残念がりますし泣きます。余りにも長く引きずりますし、その間、日々の取り組みも手が付かずに寝っ転がって癇癪起こしたりしていますので、周りで見ていてもイライラしてしまいます。大人には無い純粋な気持ちは確かに尊さがありますが、その気持ちを抑える姿勢や努力が見えない点が特に気分を悪くさせます。辛くても耐えようとしていれば、まだ温かくも見守れるのですが、竜太の場合、その不満を外にまき散らしており、更にそれを維持しようとしているかのようにも見えます。抑え込もうという傾向が少しも見えないのです。
勿論、今の竜太にそんな高尚なことが出来ないことは重々承知しています。ただ、竜太の場合は自分の想いが叶って普通、叶わないと不満に思うところがあります。叶ったときの感謝の気持ちが足りなさ過ぎるのだと思います。どうやったら感謝と謙虚の心を持てるのやら…。