悔しさの正体は本気やら努力

このブログは子どもたちが生まれたことを機に始めた育児ブログです。子どもたちは今年度の始業式を迎え、名実ともに小学 5 年生となりました。小 5 という響きは随分と高学年な感じがして、保育園に通っていた頃だとか、ようやく卒園して入学式を迎えてピカピカの 1 年生だった頃から今に至るまでがあまりにもあっという間だった感じも同時に生じます。
小 5 になると、もうすぐ中学生な感じがどんどんしてきます。子どもたちは中学受験に向けての勉強に多く時間を費やしていて大変そうな一方、中学生活や高校生活への憧れやイメージだとか憧れも持ち始めているように思えます。という訳で、忙しい日々の中でも学園モノと言いますか、中高生の青春を描いたような物語を子どもたちと見てモチベーションアップを図っていますが、そういった作品で生じる感動には、登場人物の悔しさも合わさってのものだったりします。で、この悔しさの源泉はやはり、結果に至るまでの本気度だとか努力量だったりするように思えています。
スポンサーリンク
苦労無く失敗しても悔しくない
競争にしても、何かの目標に向けての取り組みにしても、勝ったり達成したりの成功の際は嬉しく、一方で負けたり目標未達となり失敗となると辛いですし悲しく感じるのは自然と思います。その際、悔しさが生じるかどうかは結果が出るまでの過程次第に思えます。
もし熱量無く取り組んでいて、出て来る結果にもそこまで思い入れが無ければ、遂に出て来た結果が失敗に終わっていたとしても、残念な気持ちは生じるものの、悔しいとまでは思わない気がします。一方、自身の生活の時間やエネルギーやら、大人であればお金やらを多く費やして取り組んだものの結果が期待を下回る場合は、喪失感だとか絶望感だとか、ガッカリする感じもかなり大きく、そして何よりも悔しさが生じます。結果に納得いかなかったり、その結果に陥た自身の力量に憤ってしまったり、ぶつけようのない感情が沸き起こります。
感動のためには失敗が必要 ?
失敗に陥ったときの悔しさについて触れましたが、逆に成功してしまうと少し話も変わるかもしれません。本気度だとか努力量がそこまで大きく無かったとしても、結果的に成功すれば嬉しく感じるモノです。例えば何の努力も無く抽選で 1 万円のクーポンやら商品券が当たれば嬉しいですよね。普通に。勿論、苦労だとか努力の末の成功の方がもっと嬉しさ生じると思いますが、失敗時の感じ方の差程ではないように思えます。失敗したときにこそ、自身がどこまで思いを入れて優先させて取り組んで来ていたのかが、自身の気持ちになって現れるのだと思います。
その意味においては、物語において登場人物の失敗だとか挫折は必要とされるため、いつでもどんな取り組みにも成功するようなストーリーより、失敗が含まれるモノの方が見ている人の心を大きく動かすように思えます。完全勝利よりも、大枠の目標達成をしつつ、一部、悲しい結果を残すような物語の方が、多くの人の心に残るのかも。
子どもたちにとって、今の中学受験の取り組みはどうなるのでしょうね。親としては失敗や挫折といった結果になってしまうと不憫に思えますが、そうなったとしても、その先の人生で大成功が待っていれば、ここでの結果はスパイスとなり感動となり、心により残るようにも思えて来ます。