いっそ生まれて来なければと思うことも

このブログは子どもたちが生まれたことを機に始めた育児ブログです。育児経験がない私の人生でしたが、縁あって嫁さんや子どもたちに出会い、家族 4 人での生活がもう何年も続いています。子どもたちが小さかった頃は、経験値の無い状態で二人同時に育児するというドタバタが毎日の日常茶飯事で、このブログで触れる内容もそういった内容だったように思えます。がしかし、今では子どもたちも自分のコトをある程度自分でやっています。むしろ今は中学受験に向けた勉強についてのバタバタや悩ましさが支配的になって来ました。
子どもたちは今、小学 5 年生なので、小学 6 年生の最後の追い込みからするとまだまだ可愛らしい忙しさなのかもしれません。がしかし、緊張感を感じられない態度だったり、勉強の姿勢にも関係する生活態度の悪さが目立つ竜太に対して、既に苛立ちだとか憤りだとか、ネガティブな感情ばかり沸き起こります。この子と巡り合えたことは私にとってどういう意味があるのだろうかと頭を抱えるようになってきました。
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竜太がいないと平和
何かの理由で竜太が家を不在で竜子だけが家に居ることもあったりします。そうなると、家は物凄く静かで平和ですし、ストレスもあまり生じません。物事が淡々とテキパキ進み、竜子も勉強と休憩のメリハリ良く頑張れている感じです。物凄く充実した時間を過ごせていて、私も精神的な疲労がかなり少なくなります。
一方、竜子が家を不在にして竜太が家に居る場合はと言うと、かなりイライラします。相変わらずの好き勝手、身勝手な言動を繰り返す竜太に何度も憤り、勿論最初からそんなにイライラすることは無くて、声掛けしたり注意したりと健全なアプローチから始まるのですが、竜太の言動は歯止めがかかることも無く、ノビノビと自由気ままに決まりだとかルールだとか礼儀だとかを気にせず無視しますし、意に沿わないことに対して文句、不平不満、我儘を言い続けますし、勝手な行動も取り始めます。そういった言動を何度も何度も繰り返されてしまい、遂には荒々しく憤慨してしまいます。
生まれて来た以上、親の責任はある
ニュースでは悲しい事件が報道されたりします。親が子どもを殺害するような話もあったり、またその逆もあったり。酷い親だとか、酷い子だとかと思う一方で、共に生活を一緒にする家族という他者との距離感とは大きく異なって近いような存在となると、他人や世間一般では理解し難いことも多くあるのだと、竜太を見ていると思ったりします。家の外で大きく迷惑をかけることもたまにありますが、概ね、仕方のないヤツと大目に見て貰えて許されていると思います。がしかしそれは年齢的な幼さの考慮があってのことです。一人に一人前の人間としてみたときに、竜太の言動は本当に相手をイライラさせるほど不誠実です。相手のことへの気遣いよりも、自身の不平不満を解消したり、自身の欲を満たすことばかり考えて行動しています。そんな様を見ていて本当にイライラしますし、端的に表現するとその不誠実な態度を取る竜太のことが嫌いです。
前述のように竜太がいなくなれば家族が平和になります。いなくなって欲しいと思いますが、かといって竜太が事故に合ったり思い詰めて命を落としたりすると多くの悲しみを生み、やはり不幸になります。家出するなり行方不明になっても、心配して不安な日々を過ごすことになり不幸です。いっそのこと生まれて来なければ良かったと思いながらも、生まれて来てしまったからには親としての責任がありますので、私の方こそ逃げずに竜太と向き合うより他ありません。いくら竜太のことが嫌いであっても、それ以外に方法は無く、それ以外の方法はきっと、今よりも不幸になりますから。