忘却曲線との闘い
2023/07/23
人は忘れます。幸か不幸か忘れます。概ね不幸なイメージがあります。アルツハイマーだとか認知症だとか、大切な記憶・思い出が無くなってしまうことは本当に悲しいことです。記憶が無くなることにポジティブなイメージを持てる人は少ないでしょう。でも忘れることと記憶が無くなることは若干違うように思えます。忘れることは微かにその記憶を頭のどこかに保存して置き、次のタイミングで思い出しやすく出来たりします。一方、消えてしまった記憶はホントにもうどうしようもなく消えてしまって、無くなってしまいます…。悲しいのはこっちの消えてしまう方です。
忘れるコトは新たな情報の記憶への備えだったり、その記憶で辛い思いをしたことを思い出させないようにするための言わば防御策でもあったりします。なので、忘れることも大切にしなければなりませんが、勉強・学習において忘れるということは非常に厄介でストレスです。忘れる速度を上回るペースで取り組まなければ定着しませんから…。
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伸びない理由
私が英語の勉強にコツコツと取り組みながらもイマイチ結果に表れないこの状況は、多分、上達するよりも速さが加齢に伴い大きくなっていて、人より多く勉強してもその大半が定着せずに忘れ去られているからだと思います。これを打破するには根気強く勉強を継続するしかありません。一度忘れたモノは次の学習で再度覚えるまでの時間が初回より速い傾向にあります。何度も覚えて、何度も忘れて、同じ内容でも何度も取り組むことによって覚える速度が忘れる速度を上回っていきます。が、何度も取り組んで何度も思い出せずに悔しい思いをするこの取り組み、随分とストレスを抱えるでしょう。私の英語がなかなか伸びずストレスを感じるように。
竜太もまた、すぐ忘れる傾向にあるようです。私の場合も、年齢を重ねた今のみならず、幼少の頃も覚えることが苦手ですぐ忘れていたので、竜太も同じ宿命かもしれません。
止むを得ずの取り組み量
嫁さんから見れば、私が子どもたちに色々とアレヤレコレヤレと沢山やるように言っているように映っているようです。まぁそれは事実ですが、正直、私も色々と沢山子どもたちに取り組ませることにストレスを感じています。出来れば私から言いたくはない。
私以外にそういうことを言える人が居ないのです。では子どもたちに任せたらどうなるかというと、どんどんと取り組み量は減っていきます。その結果、子どもたちの忘れる速さが取り組み量を上回りますので、全然定着・上達せずに子どもたち自身もストレスを感じるでしょう。事実、竜太は上手く出来ないと物凄く機嫌を損ねます。竜太は竜子よりも忘れっぽいです。なので、竜太の頑張り量の方が竜子より多くても、竜子のパフォーマンスの方が良いのです。そういう傾向を鑑みて、竜太が忘れる速さよりも早く取り組めるようにして、竜太の定着を狙っています。
が、この取り組み、酷く孤軍奮闘。子どもたちも嫌がりますし嫁さんからも非難されます。子どもたちはまだ理解を示しますが、それでも本人たちは一人称の話なので、そりゃまぁ辛いでしょう。誰もがイライラギスギスする。そろそろもう子どもたちの勉強を手放したい…。