悔しがる意味はあるのか (竜太)
このブログでは何度も触れていますが、うちの子どもたち、月に 3 回くらいのペースで YAMAHA 音楽教室に通ってエレクトーンを使った集団レッスンを受けています。子どもたちが通っているレッスンはジュニアアンサンブルコースです。グループレッスンの中では一番難度が低いモノで、楽しみながら進める感じのコンセプトのようです。就学のタイミングでいくつかコースがあり、それまでの幼児科コースでは少し物足りなさを感じていたので、少し上のレベルにしたいと思っていましたが、残念ながら子どもたちが通う教室ではこのコースしか開催されないことと、幼児科までの先生が引き続き担当するということもあり選んだという経緯があります。
以前もこのブログで記載していましたが、このくらいのレベル・難度が子どもたちにとっては丁度良かったのかもしれません。ある程度の失敗・挫折経験もありますし、上のレベルのコースについていけたのかどうか定かではないからです…。
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同じ轍を繰り返す
ジュニアアンサンブルコースではレッスン中に教わって練習 (+ 宿題でも練習) する曲とは別に、各自がテキストから好きな曲を選んで練習しておき、レッスン冒頭に先生に披露してチェックしてもらう課題曲の取り組みがあります。うちの子どもたちはジュニアアンサンブルコースにおいてもコツコツと頑張って同じクラスの子よりも進捗が早いです。勿論、他の子よりも練習を頑張っているからですが、結果にも表れていて、それなりの自負もあるようです。特に竜太。なかなか 1 発合格は難しく、上手く出来たと思っても細かい点の修正アドバイスが入り、次週仕上げといった感じが多い所、竜太は割と 1 発合格が多いです。
なのでそこへの拘りもあるらしく、合格出来ないときは泣いて悔しがります…。以前はそれだけでなく拗ねてテキストを破ったり悪態を取るほど荒れていましたが、最近は悔しがって少し泣くくらいまで抑えられるようになったようです。がしかし、合格できなかったときの敗因はいつも同じ。練習していた曲を甘く見てしまったときです。甘く見ている分、質 (たち) が悪いです。合格する自信も付いてしまっていて、合格できなかったときのショックも大きいようです…。
一度、これで辛い思いをしたのでこれに懲りて反省したかと思いきや、こういった過ちを何度も繰り返しています…。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
先日も同じ轍を踏んでまた悔しがって泣いていました。また練習していた曲を甘く見てしまいました。幸いにも嫁さんがまだ教えられる内容なので、練習して合っているかどうか嫁さんに聞いてもらってチェックして貰えば良いのですが、子どもたちはそれをやろうとしません。いや、もともとはそうしていたのですが、嫁さんが教える内容が気に入らないのか何なのか、いつもピアノのところで嫁さんとヤイヤイ言い争いが始まってしまっていました。私は子どもたちの勉強を見続けているので、そういった感じにずっと耐え続けていましたが、嫁さんは give up してしまい、基本的に聞いてあげないことになってしまいました。
なので、私がたまに子どもたちに嫁さんのチェックを入れて貰わなくて平気か聞いて子どもたちを促してみたときのみ嫁さんに聞いてもらう感じになっていました。で、嫁さんに聞いてもらうと弾けているようで弾けていないことが発覚。もうレッスン時間も 1h 後とかに近付いていて、家を出る支度とかもあるので、竜太は完全に戦闘意欲を失っていました。レッスンを休むとまで言い出す程に…。案の定、その日のレッスンでは合格を貰えず、悔し泣きをしたと聞きましたが、その翌日、竜太は反省して練習の仕方を変えていたかというとそんなことも無く。むしろ練習時間は短くなっています。諦めたのか聞くとそんなことも無いと返事。言動が一致しません。
辛く悔しい思いをしても、喉元過ぎれば熱さを忘れる。また近い将来、同じ轍を踏みそうです。そのくらいの頑張りで失敗してもなお悔しがるのは、なぜ何でしょうねぇ…。