子どもたちの未来を憂う
忙しい日々を過ごしていると、それはそれで妙に毎日が充実してしまっています。余計なことを考えずに済む程に、目の前のことに全力投球していれば時間が無くなりその日は終了。逆に時間を余してしまうと色々と考えるきっかけも増えて、考えたところで解も無く不安しか生まれないことまで頭が回ってしまいます。という訳で、適度に忙しいことは精神的にも健全に思えて来ています。
という件 (くだり) で始めた今日のお話ですが、子どもたちの未来を想像してのモノです。親という生き物は、永遠に子どものことを心配するモノですね。不安で不安で仕方ありません。
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失敗から立ち直れるのか
平均余命・寿命はどんどん長くなっています。人生 100 年時代です。子どもたちも普通に長生きして、年月を重ねて生きていくでしょう。そんな長い人生をノーミスで過ごすことは不可能です。大なり小なりミスをしながら生きていきます。簡単にやり直せる小さなミスもあれば、痛恨のミスによって人生が左右されてしまうこともあるでしょう。きっと色々と起きると思います。それが人生です。
不安なのは、うちの子どもたちがミスした後に立ち直れるのかどうか。現時点、物凄くメンタルが弱いうちの子どもたち。気持ちの入れ替えに時間がかかってしまうことは仕方ないにしても、それを経て、よしまたやるぞ、と思えるかどうか。ズルズルと引きずってしまってそのまま朽ち果てないか心配でなりません。
最後に残るモノは自分の力
私たち人間は非常に弱い生き物です。特に心が。多くの現代人が心の病気を患います。その一方、強い心を持っている人も居ます。心が弱い人であっても、何かによって強い心となる人も居ます。不思議ですね。そのトリガーだとか原因は人によって様々ですが、心の拠り所があるのと無いのとでは大きく違って来るように思えています。
心の拠り所として、様々な候補があるかと思います。ですが、例えばそれがお金だとか財産だとか、親とか友人とか伝手だとか、自身の外部にあるモノであれば、それらは無くなってしまう可能性が十分にあったりします。勿論、意図的に無くすようなことは少ないでしょう。何らかの外部要因だったり、何かに巻き込まれたり、騙されたり。何かの理由で無くなってしまう可能性があるのです。
その一方、無くならない可能性が高いモノもあります。それは自身の力です。知識や習得したスキルは消えません。勿論、怪我をしたり記憶やら脳に影響を及ぼす病気だとかで失われる可能性も否定出来ませんが、前述の自身の周りにあるモノより無くなる可能性は低いと思います。例えば親は 100% いつか死にます。死なないにしても大人になって独立する際は、親のサポート無しに生きることになりますので、親のサポートが消えます。最近、生き方・生活の仕方は様々ですが、自立は多くの人が目指すところだと思います。話は逸れましたが、自身の力があればきっとどんな目に合っても立ち直れると思うのです。私が子どもたちにしてあげられるのはそういった力の習得だとか、習得する土俵作り。こうして上げることくらいしか私は出来ません。