友だちとは何ぞや (親にとって)

このブログは子どもたちが生まれることをきっかけに始めた育児ブログです。子どもたちが生まれて、家族で生活することになり、気が付けばもう 10 年近く家族での生活が続いています。子どもたちももう小学 4 年生。早いモノですが、独身生活だったころが信じられないくらい、家族での集団生活が長くなってきています。
嫁さんに加え子どもたちと一緒の生活は主に子育て生活になる訳で、子どもたちに多くの時間を費やしていますし、子どもたちのことが中心となる時間の使い方をしています。何をするにも子どもたち中心となり、その他の取り組みは後回しになったり放置し続けたり。例えば私の交友関係についてもかなりの後回し感が満載です。こうして見ると、親にとっての友だちって何なのだろうと疑問すら沸く程です。
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家族と仕事以外の接点がほぼゼロ
子どもたちの育児に関わり始め、子どもたちのことを優先に生活していると、慢性的な時間不足に陥ります。1 日 24 時間という時間制約の中、子どもたちのお世話や対応が第一優先。次に生活に必要な収入源である仕事。その次が家事。これらに毎日一生懸命取り組んでいると、残された時間はかなり限られていきます。隙間時間を作り出して何とか有効活用して英語の勉強に取り組むことは出来ても、家族でも仕事関係でもない友だちだとか仲間と共に時間を過ごす機会は皆無となります。強いて言えば、隙間時間に何とかチャット・メッセージで交流する程度です。
友だちと呼べる人たちに最後に会ったのはいつだったか。多分、3 年前くらいだった気がしますが、気が付けばもう随分と年数が経っています。友だちとゆっくり会話を楽しむことすらままならない生活で、接点がほぼないまま年単位で時が流れている気がします。
友だちとは何なのか
改めて考えると友だちという存在は不思議なモノに感じます。
例えば子どもたちが保育園だとか習い事に通い始めて、子どもたちは同世代の子と接点が生じ、その子たちと仲良くなって友だちになります。子どもにとって友だちは楽しさをもたらす存在だったり、もう少し大きくなると苦楽を共にする仲間といった位置付けになります。いずれにしても生活が精神的に豊かになる位置付けです。まぁ勿論、喧嘩とか何かしらの祖語だとか誤解が生まれると関係は悪くなってお互いに存在がストレスになることもありますが…。
一方、大人になると友だちの位置付けはまた変わったモノになるように思えます。特に結婚して家族と生活すると、これまで友だちと過ごすという手段で社会での共生をしてきたのが家族に取って代わります。そうすると、友だちで満たされていたモノが家族で満たされ始め、忙しさも加わって友だちと会うことすら無くなっていきます。
そして子どもがある程度大きくなって親が子どもに何かすることも無くなってしまうと、親側も子どもで満たされていたモノを別の手段で満たす必要が生じ、再度、友だちとの接点を求めるようになる感じがします。ただそのときに、気軽に会ったり時間を共に過ごす友だちがまだ残っているか否か…。やはり定期的に顔を合わせて、友好関係は残し続けた方が良いのですが、どうしても子育てで忙しいと疎遠になっちゃいますよね。