家での散髪で感じる時間の経過

このブログでは何度も触れていますが、我が家は竜太と私の髪を自宅で切っています。と言っても我が家は理髪店でも美容院でも無く、髪の毛についてはただの一般人です。そんな素人でもある程度そこそこ自分で形にする手段として、家電メーカーは便利なモノを作って売ってくれています。バリカンと呼ばれていたり、ヘアカッターと呼ばれているモノです。理髪店や美容院でも用いられることがありますが、これを使うにもハサミによるカットと同じくカットのスキルが必要となりますが、素人はそんなモノを持ち合わせていません。が、前述の通り家電メーカーは色々と工夫してくれています。ノズル部分のアタッチメントを複数用意してくれていて、これを上手く付け替えてカットすることで、専門技術無くそこそこの仕上がりにしてくれるのです。我が家ではパナソニックのヘアカッターを愛用しています。
という訳で我が家では毎月、竜太と私の髪を切っているのですが、これを通じて時間の経過を感じてしまいます。
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感じる老い
私は高校を卒業するまで実家で暮らしており、勿論、父親の存在も生活の一部でした。凝視することはありませんが、視界には入りますし、会話もします。その際、父親の後頭部だとか頭頂部が目に入ることも多々あり、少しずつ薄くなっていることに気付いていました。高校を卒業するタイミングでは随分薄くなっていましたし、大学に入学してから親元離れて生活するようになり、たまに帰省して親に会うと、親がどんどん老いていく様子に寂しさや悲しさや現実を感じていました。父親の髪もどんどん薄くなっていて、視覚的に老いを感じるモノでした。
最近、私の頭頂部も随分と薄くなってきていて、それを見てあまり大きな悲壮感は無いにしても、薄くなった髪から除く地肌が光を反射しているのを見ると、幼少の頃から不思議に思っていた “剥げた頭はなぜ光るのか” という疑問に自分自身も該当することの皮肉というか何というか、そんなモノを感じます。
これからを生き抜くための若さ
一方、竜太の髪を切るときには当たり前ですがその若さに感銘してしまいます。しっかりとした毛髪量および髪の毛の力強さ。年々力強くなっていく体格。伸びる身長、増える体重。何とも頼もしい限りです。まだまだ子どもたちはこれから先が長く、楽しいことも沢山ありますが、残念ながら悲しいコトだとか辛いことも沢山あります。
そういったことに全力でぶつかれるように今の若さや力強さがあるかと思うと、親心としてやはり心配が尽きません。このブログではよく触れていますが、竜子は憧れの中学校目指してそこそこ勉強への取り組みの波に乗れているみたいですが、竜太はまだまだ自分に甘く、憧れの中学校に合格したい気持ちもある一方、辛いことや面倒なことよりも遊びたい心の方が大きく、真剣に集中して勉強する感じがありません。これからどんどん衰える私が出来ることとすれば、子どもたちが小学生のうちまでだと思っています。中学からは取り組む内容が高度化されてしまいますので、アカデミックな勉強から随分前に遠のいた私の手に負えないように思えますし、子どもたちの心も体も大きくなり、私の手の届かないところに行ってしまいます。それが待ち遠しい気持ちもあったり、寂しい気持ちもあったり。親の心情あるある、ですね。