ストレスが生む悲劇
2019/02/10
児童虐待のニュースをたまに見かけます。
最近は 10 歳の女の子が犠牲になった事件が
ニュースやメディアで報じられています。
児童保護が上手く機能していなかっただとか
そこに携わる大人の対応が悪かっただとか
そもそも加害者は何て酷いのだろうだとか
加害者の配偶者はなぜ止めなかったのだろうだとか
そんな話を沢山目にします。
子育てでほぼ毎日翻弄されている私の場合、
この事件は他人事ではなく
色々と考えると胸が締め付けられるような思いです。
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他人のことは言えない
私もこれまで、
子どもたちに酷いことをしてきたように思えます。
子どもたちは自分で制御出来ないのにも関わらず
私が大人なのに制御出来ないでいます。
最近はそうならないように気を付けていますが
それでも子どもたちの振る舞いが
成長に合わせえてエスカレーションしているので
今以上の自制心が必要とされそうです。
本当に冷静でいられるのか、まだまだ自信がありません。
決して子どものことが嫌いな訳ではなく
もちろんその反対で大好きです。
大好きで思い入れが強過ぎるがために
子どもたちの度を越えた我儘やいたずらや
誠意のない (本人たちからすると無邪気な) 行動に対して
怒りという感情が沸くのだと思います。
なので、最近、
児童虐待のニュースを見ても、
御幣を生むかもしれませんが
単純に酷いと思うよりは
ある程度の共感と同情を持つようになっています。
それと同時に、自分自身、そうならないようにと
気を引き締める思いがします。
何がそうさせているのか
子どもに責任を持たせることは不可能なので
親が責任を負うことになります。
なので、全部、親が悪いことになります。
でも、なぜ悪い親が居るのでしょうか。
親を悪くする原因は何でしょうか。
私は、そんな悪い親を作ってしまう
今の世の中にも大きく責任があると思っています。
ただの責任転嫁かもしれませんが…。
というのも、
子どもの振る舞いも、
心の余裕次第では微笑ましく見ることも出来るのです。
例えば金曜日のお迎えの時間に
ある程度、保育園でグズグズして帰宅が遅くなっても
そこまで気分を害しません。
翌日が土曜日なので、心に余裕があるからです。
まぁ言い換えてしまうと、心の余裕は時間の余裕かもです。
では、親の時間なり心の余裕を奪うのは何か。
これは今の世の中だと思っています。
ストレス過多ですし、子育てしながらの生活は非常に辛い。
体力・精神共々、とても辛い。
子育て世代へのサポートが不十分過ぎます。
もちろん、ある程度はサポートされていますので
当面の生活は何とか出来ると思います。
ただ、それには
キャリアだとか収入が犠牲になる仕組みだったりして
年金が将来機能しないことを漠然と理解している
子育て世代からすると、
将来の不安が大きくなります。
子どもたちの将来的な教育費の課題もあります。
この辺の課題に対するケアと合わせて
子育て世代の子育て生活をサポートしない限り
親は不安の重圧で、心と時間の余裕をなくしてしまい
悲劇が生まれてしまうように思えています。
根深い問題だと思っています。