少しくらいなら大丈夫となぜ思うのか

このブログは子どもたちとの育児生活を中心に綴った育児ブログです。子どもたちは気が付けばもう小学 5 年生。育児生活に奮闘する育児ブログのイメージは、保育園やら幼稚園に通う子のお世話に色々と翻弄されながらも癒され充実した日々を過ごすようなモノと思いますが、うちの子どもたちはその意味において既に旬を過ぎています。今では中学受験に向けた勉強が中心の生活になっていて、子どもたちの成績だとか学力だとか、勉強に対する態度で精神的な余裕をすり減らす毎日になっています。
大人も然りですが、勉強という取り組みは多くの時間を溶かしていきます。まぁこう表現するとネガティブですが、目標を達成するために勉強に要する時間はかなり多大ですし、結果が出ないうちはどこまで取り組んでもこれで足りているのかと不安になり、もっとやらないといけないのではないかという気持ちになってしまいます。そのため、慢性的な時間不足に陥るのえ、時間に余裕のある日やタイミング何てものは疎遠になっていきます。が、そんな心情も考えず、易々と色々と予定を入れて来る人は一体何を考えているのでしょう…。
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それは誰視点
謎なキーワードがあります。”せっかくだから” という言葉です。何かこう、労力がかかった取り組みだったりとか、非日常的な稀有な活動の先に限定して取り組める何かをやっておく、といった感じの意味合い。そこまでの道のりの苦労だとか労力だとか、滅多に無い機会を無駄にしないためにも、みたいな。この言葉を使われると、妙な焦燥感に襲われます。せっかくだから、と言われたモノゴトをしないということは、何か貴重なモノを見過ごしてしまうことになるような感覚が生じます。
まぁそんな気持ちは十分理解できるので、気が済むようにやって頂ければ良いのですが、その取り組みに巻き込まれるケースもあります。せっかくだから会おう、ご飯を一緒に食べよう、みたいなそんな状況です。つまりせっかくと言われて誘われるケースです。この場合の “せっかく” は一体誰目線なのでしょうね。誘われる側の労力や機会を無駄にしないためにそういう話になるのであれば問題無いのですが、誘う側の都合での “せっかく” であれば、誘われる方は巻き込まれている感が否めません。更に厄介なのは、誘われる側もなぜかこの機を逃してしまうと、という後ろめたい気持ちにさせる点です。無意識のうちに誘う割れる側にも焦燥感が生じるという不思議な効力を持っていたりします。
小学生にはアレンジも難しい
大人の感覚では、1 日 24 時間あって、何日何日も毎日過ごしている中の、ほんの 1 時間だとか 2 時間と思うかもしれませんが、小学生がこれを普段の生活の中から捻出するのはかなり難しいように思えています。勉強に多くの時間を費やしている生活の中で、勉強以外に費やしている取り組みを 1 時間なり 2 時間我慢して勉強時間に加算するのです。該当する時間は基本的には休憩時間だとか娯楽の時間に該当しますので、やはりそれは至難の業に思えます。
そんな大変なコトなのに、なぜ易々と 1 時間 2 時間くらい、といった感覚で子どもたちの時間を奪うことをするのか理解に苦しみます。受験に向けて頑張る子の時間は物凄く貴重です。もし余分な時間があれば、気晴らしは必要ですが、それよりも何よりも睡眠時間を伸ばしてあげたいと思うのですが…。そんな風に思う人の方がマイノリティなようです。