憧れるのは自由だが、運命は受け入れるしかないか

このブログは子どもたちが生まれることを機に始めた育児ブログです。子どもたちは小学 5 年生になっています。もう少ししたら小学校も卒業して中学生になるかと思うとなかなか感慨深いモノがありますが、中学受験という子どもたちの人生で恐らく最初の試練だったり運命の分かれ道があるので、感情に浸る心の余裕もありません。
最近は中学受験だとか勉強に関わる話に触れることが多くなっていますが、たまにこの生活だとか私や家族の人生の一部となるこの瞬間を俯瞰的に見たり考えたりします。そんなとき、運命だとかそんなモノもあるのだろうから、導かれるところに導かれて行くだけな気もして来ます。
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知ること憧れることは自由
法治国家であったり民主主義である日本に生まれ生活する我々は色々な選択肢や可能性や自由があります。誰しも総理大臣だとか宇宙飛行士だとか医者だとかスポーツ選手だとか芸能人だとか、将来の夢や憧れを自由に持てます。小学生のときとかに、何かしら描く機会はあったと思いますが、そのときに制限は無かったと思います。勿論、公序良俗の範囲で。
我々日本人はこれを当たり前に思ってしまいますが、海外ではそうでもない国もあったりします。そもそも学校に通えない子たちも居ますし。勿論、自由は不自由と比べると遥かに恵まれていて前向きなのですが、その自由とは別に現実性だとか実現可能性みたいな話があったりします。
運命には逆らえないのか
現実性とか実現可能性みたいな話に関係するのはやはり資金力と才能に依るところだと思います。憧れるのは自由なのですが、望めば誰でも実現出来る訳ではありません。お金持ちで親の理解のある家に生まれた子は、思い描いた未来や夢の実現に向けて最適で十分なサポートを得ることが出来ます。また、才能を持ち合わせた子であれば、どんな境遇でグングンと吸収して勝手に夢を実現する人に育っていくでしょう。問題は、財力にも才能にも縁が無い場合です。夢を自由に描きつつも、そういうことを実現することは出来ないと悟るとき、一体どうやって心を整理すれば良いのでしょう。私を含めて、多くの大人が、人生はそんなものだと割り切って、それでも全てが叶わなかった訳では無く、叶った部分もあるのでそんなところを見て満足しようと努めます。
大人であればそのような悟りの境地も人生経験から色々な側面が見えていますので、そうネガティブになる必要も無いのですが、小学生の子どもたちが自身の希望する中学に縁が無かった場合、一体どうやってそれを受け止めるというのでしょう。結局は縁が無かった運命であったと悟ってしまうのも、まだまだ 12 歳の子どもがすることとは違うようにも思えますが、やり直しが効くモノでもなくご縁のあった中学に何とか納得する必要があります。結果を自身の人生の最良の結果と信じるような大人びた考え、果たして子どもたちに出来るのでしょうかね…。