信じて見守るくらいしか方法は無さそう

このブログは子どもたちが生まれることを機に始めたモノです。子どもたちがもっともっと小さい頃は、子どもたちの発熱だとか下痢だとかの病状だったり、発育についての悩みが支配的でしたが、今では子どもたちももう小学 4 年生になっていて、専ら学力面の心配が頭痛の種となって来ました。ただ単純に学力の伸び悩みであればまだマシなのですが、今の悩みは勉強や頑張ることに対する姿勢です。特に竜太のそれは酷いモノで、今の育児生活の悩みの大半が竜太の悪態だったりします。
恐らく、解は無く、竜太の心の成長を信じて待つくらいしか方法は無いようにも思えています。
スポンサーリンク
外部が思う分かりやすいでは響かない
自身ではなく他者が分かりやすいと思う話や説明方法は、モノゴトをロジカルに紐解いて行く手法かと思います。そこには因果関係だとか、議論に対する理由だとか、論理的にそれぞれを納得のいくような説明を添える。説明を受け取る側は “なぜ” が解消されるため、理解がしやすく受け入れやすい。しかしこのアプローチが効果を持つのは一定の理解力だとか学力を相手が持つことが前提です。もしそうでない場合は相手の相手の心情や思いや感情に訴えると言ったアプローチになるかと思います。心を動かす作戦です。
いずれにしても、伝えたい相手からすると外部からのアプローチとなり、外部目線で分かりやすい・納得しやすいと想定されてのアプローチです。受け取る側はその外部の想定通りかどうかはまた別の問題だったりします。
竜太の内部から思いが生まれなければ
以前も記載していましたが、竜太にとって外部の私がどんなアプローチを試みたところで、竜太のコアに届いている感じはありません。何を言っても、どんな言い方をしても、考え方の工夫を教えても全く響きません。心にあるイライラだとか嫌な気持ちが恐らく外部からの情報を受け付けなくしているのだと思います。仮にそれでこの先自身が困ると分かっていたとしても、どうにも頭と体が動かないのでしょう。竜太が冷静に現状を把握して自身の行動を改めたり、外からの言葉に耳を傾けて素直に行動に移すくらいの心が出来上がったとき、初めて竜太の言動が今と変わって来るのだと思います。
それが今から数か月後なのか、何年後なのか、中学受験が間に合うのか、全く定かではありません。今の竜太の態度を見る限り、恐らくそれは中学受験後なんじゃないかと思っています。いつか自身で理解してくれる。いつか私の言っていることを咀嚼してくれる。そう信じて気長に待つしか方法が無いように思えています。信じるっていうのは辛いモノですね。