KPI 不透明な絵の評価
私が幼少の頃
結構、絵を描くことが好きでした。
何となくそれっぽく描くことが出来て、
周りの大人も、上手、上手と煽てられていたので
てっきり、絵を描く才能があると勘違いしていました。
中学あたりになると
美術部とかに所属するような
本当に絵が好きで練習もするような人たちには
到底敵わなくなり
自分が絵心無い人だと痛感することに。
それ以来、まともに絵を描いた記憶がありません。
竜太と竜子は
まだ絵の上手い、下手を意識していなくて
取り合えずそれっぽいのが描ければ
ぼく描けるよ、わたし描けるよ
と言えるので、それで満足です。
描けたモノが上手い、下手とかって観点ではなく
描けるか描けないかって感じです。
この発想はとても平和で、
その方が芸術の分野なんて才能伸ばせそうに思うのですが、
歳を重ねるにつれて、描いた絵も評価されるようになります。
でもこれ、どんな風に評価されているのでしょうね…。
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暗黙の KPI が鬱陶しい
該当する年齢に合わせて、
それなりに評価ポイントが暗に存在していそうです。
今、年長さんの子どもたちは
色々な色を使っていたり
人を描くときに、腕とか足とか体を
棒人間のように表現するのではなく
腕や足や体として
面積を持たせて表現出来るのが望ましいようです。
就学後、小学校のイベントやら授業で描く絵も、
それなりの人が評価しているのだと思います。
美術の先生だとか、何だとか。
でもどういったポイントをどうやって評価しているのでしょうね。
例えば小学 3 年生の描く絵は
何が評価されているのでしょう。
きっと何かがあるはずです。
解せないのは、評価する項目が暗に存在するはずなのに
それを教えてくれないことです。
賞を取る絵はどこが良くて、
取れなかった絵はどこが駄目だったのか
そんな解説を受けた記憶がさっぱりありません。
写生大会とかで描いた絵が何かしら評価を受けて
入賞したのか、そうでなかったのか発表されるだけ。
評価過程が不透明過ぎます…。
なぜ描いた年齢で評価が変わるのか
そもそも絵画や芸術品なんて
作り手の年齢を考慮して評価する必要が
あるのでしょうか。
もちろん、年齢に応じた表現力の水準はあるかと思いますが
その力を養われているかどうかを評価することと
作り手が思いを持って作った作品を評価することは
違うように思えます。
例えば 10 の表現方法を持つ人が居て、
8 以上の表現方法が出来ていれば素晴らしいと評価するとします。
でも作り手がその作品に思い入れを持っていて
その思いを再現する表現方法を駆使します。
その結果、6 の表現方法に留まったとします。
すると 8 以上を満たせないので評価は悪くなります。
つまり人の能力を評価することと、作品を評価することを
ごちゃまぜにしているから違和感があるのです。
年齢ごとに評価ポイントを設けて評価することは
人の能力を評価していることになります。
それなら、評価用のテストのようなものを用意すべきです。
で、そのテストには評価ポイントも明記する。
こうすると公平な評価になります。
描かれた作品の評価であれば、
心が動いたかどうか、感動したか、で評価すべきです。
最近では NFT アートで小学 3 年生が 380 万円の値を付けたそうです。
売れない画家よりよっぽど稼いでいます。
売れない画家の方が表現力は高いでしょう。
でも、小学 3 年生のアートの方が、心を動かしたのだと思います。
子どもの絵は、能力ではなく、作品を見てあげたいですね。