子どもが居るという不思議
2017/11/14
このブログでも何度か触れたかもしれませんが
改めて考えてみるとやはり不思議なことがあります。
嫁さんと私には可愛い子どもたちが居ます。
深い考えが無さそうだけど優しい竜太 (仮称)。
臆病で気難しいけど面倒見の良さそうな竜子 (仮称)。
嫁さんが妊娠して、
子どもが双子だとわかったときは驚きましたが
既に自分の子ども = 竜太 (仮称) と竜子 (仮称)
という感覚を当然だと思っていて
双子の親をしていることの特別さも感じていません。
本当に随分と大きくなって
意思も芽生え始めて
しっかりイヤイヤするようになっています。
でもこの二人、
私と嫁さんから生まれたのですよね。
当たり前ですが 笑
でもこれ、深く考えると本当に不思議なのです。
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無から存在へ
妊娠前は当然、
子どもたちは存在していません。
それが、
アレよコレよと気が付くと
前述の通り意識も芽生えていて
生意気にも自己主張しています。
何もなかった無の状態だったのに、
今や立派に自己主張してイヤイヤしているのです。
これは何も自分の子どもたちにだけ言えることではなく
自分自身にも言えることです。
今、こうやって親になっていますが、
もともとは自分の親から生まれていますし、
母親が妊娠する前は自分の存在すらありません。
気が付く頃には自身の存在はあるものですから、
一体自分はどこから来たのか、
なぜここに居るのか、
よくよく考えるとほんとうに不思議ですよね。
与えられた命、与えた命
死に際の直前でなければ
本当のところはわからないかもしれませんが、
与えられた命より
与えた命の方がかけがいの無いように思えています。
親から与えられたこの命、
とても大切に思っていますが、
それよりも子どもたち、
つまり与えた命の方が大切です。
自分のことよりも、
子どもたちのことを優先させてしまいます。
不思議なものです。
自分の命が終わってしまうと、
そこで何もかも終わってしまうというのに。
それでもなお、
自分の命が終わった後の与えた命のことを
案じてしまうのですから。