子どもに伝える “正しさ” とは
最近、ふと、
もやもやした気持ちになることが多々あります。
季節的にアレですかね。
5 月病みたいなやつ…。
だとしたら結構危険なのですが
そうではないと信じながら
社会の複雑さが生むモノに思えています。
子どもを持つ親として、育児・教育に責任を持って取り組んでいます。
端的に言って、何を子どもたちに伝えるのか、が問題です。
これ、考えれば考える程、モヤモヤが止まりません….。
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健康で誠実で優しい人になって欲しい
親が自身の子に求めるモノを聞かれると
実はあまり大げさなモノって出て来なくて、
地味なモノが最初は出て来るのではないでしょうか。
その後にあれもこれもと出てくるのは
何とも人間臭い欲望の塊かもしれませんが 笑
では子どもたちに求める地味なモノって何か。
・健康
・誠実
・優しさ
こんな感じ。
親として、子どもたちに出会えて一緒に暮らしている時点で
もう 9 割以上は満たされているのです。
この状況で子どもたちに求めるモノとすれば
今の状況の継続。
つまり子どもたちが無事に健康で居てくれさえすれば良いのです。
そして誠実さや優しさを求めるところは
人間社会において孤立した生活は不可能であり
必ず誰かと接しながら生きる宿命にある中、
誠実さと優しさが人との接点を手助けしてくれます。
なので、こんな地味なモノを望むのです。
正しいの定義
では誠実、優しいとはどういうことなのか。
正しいことをしっかりと貫き通したり
相手のことを思いやったりすることと思います。
ではその “正しい” というのは何なのか。
子どもたちに、
それは違うよ
それは合っているよ (正しいよ)
と軽々しく普段言っていますが
これは親の価値観だとか尺度でしかありません。
子どもたちは子どもたちなりの考え・正義があり
そうすべきだと思ってやっていることも多々あります。
それを頭ごなしに否定することは
本来間違っていると思います。
ただ、人間社会で子どもたちより長く生き抜いてきた大人として
マジョリティの意見として子どもたちに伝える必要があります。
マイノリティの考えに固執して、孤立してしまうことを避けるために。
勿論、孤立が悪いことだとは言いませんが
その孤立や自身の考えへの固執により
子どもたちが辛い思いをすることは避けてあげたいのです。
また、誠実さとは少しことなるズル賢さ。
一人勝ちするような発想は
コミュニティの中で生き抜く上では
あまり喜ばれないのですが
一方で、生き残るための力としては
子どもたちには身に付けて欲しいところです。
今まで優等生のような指針で子どもたちに伝えていたのにも関わらず
どこかでズル賢さも大切だと言わないといけない。
なぜなら、生き残ってこその “正しさ” なのですから。
このあたりの矛盾を自分の中でも抱えますし
受け取る子どもたちも混乱しそうです。
子どもたちを想う気持ちだけは、嘘偽りが無いのですが
果たしてこの想いが伝わるのか否か…。