時間と金を搾取されているのか、創造なのか
コロナ禍の影響で
連休であってもお出かけや旅行することもなく
子どもたちと共に stay home が基本です。
週末はそれなりにレギュラーの予定を入れていますので
土日でも忙しくしていますが
土日以外の祝日は特に予定も無く
保育園もお休みなので、
割と自由な時間となります。
自由な時間、特定の todo を決めずに子どもたちと過ごしていると
子どもたちの時間の過ごし方の是非について
色々と考えるきっかけになりますね…。
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子どもを魅了するコンテンツは何を願う
資本主義のメカニズムで成り立つ社会で生活していますので
生活の至る所、至る局面で
お金と時間を使いたくなってしまう物事が沢山あります。
何やら楽しそうなイベントやら、何やら楽しそうな物語、
何やら美味しそうな食べ物や、何やら楽しそうな遊び。
子どもたちは容易に食い付きます。
食い付いた子どもたちの欲を満たすため、
親はお財布を緩めてお金を使い、時間を使って楽しみます。
ではこれらのコンテンツは何を狙って提供されているのでしょうか。
子どもたちの成長や将来を願ったモノなのか。
それよりも提供側の事業継続・拡大のためのモノなのか。
例えばスマホゲーム。
無料で楽しいものがいっぱいあります。
これに時間を費やす子どもたち。
時として競争力を得るために、ゲーム内課金に手を出して
お金も費やす人たちも居ます。
純粋に楽しいことはよくわかります。
私も幼少の頃からゲーム好きですから。
ですが、それに没頭したことで得られるモノは一体なんでしょうか。
ゼロとは言いませんが、得られるモノよりも
時間とお金を搾取することが主目的で提供されているモノに対して
そんな価値を期待することは間違っているように思えます。
田舎の文化的・伝統的な風習
一方、もはや廃れてしまっていますが
地方や田舎に根付く文化的・伝統的な風習。
これらは効率化とは程遠く、時間を多く消費します。
ではこのような取り組みもまた、
時間とお金の搾取が目的でしょうか。
風習の発端はどうなのかわかりませんが
長年続いていて、今もなお、細々と伝統的に残っているモノは
もはや芸術・文化の域に入っていて
これらの営みは提供者を得するモノではなく
取り組む人たちに恩恵があり、実に文化的なモノだったりします。
残念ながらこの価値が分かる人は
かなり余裕のある人だったり、実力者なのだと思います。
資本主義のメカニズムにおいて効率化・成功を突き詰めた後に
実はあまり多くのモノが残らないことに気付き、
一方で地方や田舎で続いていた風習にこそ文化的な価値があることに気付く。
そんなモノなのです。
では小さな子どもたちはどちらに触れる方が良いのか。
理系の私がこんなことを言うのもアレですが、
心を育むためには芸術だとか文化が重要と思っています。
目先の効率化された営みに時間を費やすより
遠回りして、古臭いと揶揄されそうな文化的な経験を積むことの方が
将来的には役に立つのではないかと思っています。