念のためをやめることは難しい
2017/11/27
先日、生命保険の要否について疑問視をした投稿をしていました。
論理的に考えると、生命保険は不要です。
万が一の備えでしかなく、
他の手段で備えることも出来る訳です。
それでもなお、多くの人が生命保険に加入しているのは
何も考えずにその方法がベストと思っていたり、
わかっていてもわかっていなくても何となく不安なので、という理由だったり。
不安なので念のため
という発想の場合、
本当はしなくても良いものが多々あると思いますが
やめるという判断を下すことは非常に勇気と決断力を要します。
なので、無意味とわかっていてもダラダラと継続しちゃうんですよね。
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ノーリスクなんてない
万物に言えることとして、
リスクとリターンは必ずセットになっているという点があります。
ノーリスクと表現されるものについても実はリスクは存在していて
そのリスクを許容しているだけに過ぎません。
例えば銀行での定期預金を例に上げましょうか。
銀行が破綻しても 1,000 万円までは法律で保証されていて、
定期預金の利回りはマイナスではないので元本割れもありません。
でもこれを、ノーリスクという人は浅はかです。
なぜなら、低金利過ぎて増えない、というリスクがあります。
例えば老後の生活のために定期預金をしていたとして
いざ退職してその定期預金を切り崩して生活したとして、
途中で枯渇したとします。
この原因は、十分なアマウントまで増えていなかったことです。
もっと働いて預金に回せば良かったと思うかもしれませんが、
1 日 24h 以上はありませんし、日々の生活で最低限必要なモノもあります。
どうしてもこれ以上預金に回せない人にとっては、
定期預金なんて手段では駄目なのです。
退職時までに必要なアマウントまで増える可能性がある手段が正解です。
また、為替の変動によっても、その預金額の価値は変動していますので、
やはりリスクはあります。
これらのリスクを、無意識に許容しているので、ノーリスクと言っているのです。
無意味に念のための継続もリスク
冒頭で、念のために継続することや人が多いと記載しました。
これ、リスクが低かったりノーリスクだから
念のため続けておこうという発想だと思います。
ただ、これにも重大なリスクがあると考えたほうが良いです。
継続するための稼働やコストも考慮すべきですし、
継続することで他の手段にシフトできないという機会損失のリスクもあります。
本当にやらなくて良いものに対して、
念のためという理由で割り切らないでいることや、やらない判断をしないものは
実はじわじわと負の側面が悪影響を及ばせているのです。