固定概念が無く発想幅が広すぎるが故の難しさか
うちの子どもたち、毎日コツコツと色々なことに取り組んでいます。色々と詰め込み過ぎていてパンク気味なので、引き算だとか断捨離したいのですが、親子共々、辞める決断が苦手です。少しずつ取り組みを見直そうと思っていますが、最近取り組み始めた読解問題の練習は優先度を上げて残すつもりでいます。逆に計算問題の練習は最低限に減らす方向で考えています。読解問題、私が苦手だったこともあり、自然体で勉強していては、恐らく学年が上がったときの問題が解けません。私の経験では、高校まで影響しますし、大学入試でも弱点になってしまいます。
という訳で子どもたちに読解問題を定期的に取り組ませていますが、文章を読んで設問に答えるにあたり、ある程度の暗黙知だとか常識的な知識が必要ですね。経験を積んだ大人では発想しない読み取り方や捉え方をする子どもたちには辛いときもあり、読解問題の練習を通じてその発想力が無くなるかと思うと、可能性を潰えているのでは無いかと不安になります…。
スポンサーリンク
“続く” の意味合い
子どもたちが二人とも回答に困った問題は、ざっくりこんな感じでした。
“二重線の言葉の後には全て同じ言葉が入ります。文章中から書き抜きましょう”
子どもたちはこの日本語を自分たちなりの理解と発想で捉えて回答しました。残念ながら誤答です。ですが彼らの言い分を聞いていると、確かにそう捉えられなくも無いかなという気持ちにもなります。
子どもたちの解釈では、二重線の言葉の後に、別の登場人物もしくは同一人物の改めて別のセリフが共通的に続くのではないかと思ったようです。確かにそれでも該当の二重線部分の”後” に続く感じなので間違いではありません。が、今回の問題は、主人公が色々なモノが何で出来ているのかお父さんやお母さんに聞いているシーン。最初は、“xxx は なんでできてるの ?” と聞いていたのですが、該当二重線部では “yyy は? “ や “zzz は ? “ といった記載のみとなっていて、“なんでできてるの” の表現が省略されており、その省略を答える問題です。
常識による発想力の制限
私はもう年齢を重ねた大人なので、その問題の意図と回答させたい内容も分かりますし、前段の主人公と他の会話からの文脈では、“なんでできてるの” が暗に続いていることはとても自然な流れに思えます。
恐らく、うちの子どもたちも文章を読んで話の流れを理解していたので、それは肌感覚で分かっていたと思います。がしかし、問われている内容がどういう意味合いなのかがわからない、と。そんなことわかっているよ、わざわざ問題にしないようね、と思い込んで、それとは別のセリフが続くと思い込んで解こうとすると、途端にわからなくなります。なぜならそんなメッセージはお話に存在しないので。ですがそれを問われていると思うこと事態、発想力な気がします。
子どもたちのそんな考えに私は少しハッとしました。確かに問題文の日本語から、そのように読み取ることも出来ます。ただそれはメジャーな読み取り方ではなくマイナーな読み取り方なだけです。不自然だから、普通こうだから、常識的にこう読めるから、といった理由で誤答扱いとされる子どもたちの読み取り方が何だか不憫です。そしてこういったトレーニングで正しい読解力が身に付いていくと思いますが、同時に発想力は失っていくような気もして、何とも悩ましく感じてしまいました。