二人とも辞めることを嫌う
このブログでは何度も触れていますが、うちの子どもたちはコツコツと勉強に取り組んでいます。取り組む勉強の内容も、少しずつ難しくなってきていて、出来て当然だけど念のため練習しておくような内容から、練習しないと出来ないような内容・問題に変わって来ているような気がします。中には大人である私でも舌を巻いてしまうような問題とかもあって、年々、親の出る幕が無くなって来るような傾向を感じています。
それでもまだ子どもたちが自力で取り組めないことを私が一生懸命教えていたりしますが、難しい問題とかでどうにも進められないとき、もう諦めて飛ばしたり辞めることを提案しますが、二人ともそれを嫌がります。
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見栄っ張り
うちの子どもたちは二人とも見栄っ張りな感じがします。人間なので、そういった感情は皆共通に持っていると思います。私もある程度持っていて、過去にその気持ちは強かった記憶がありながらも、今はそれほどでもありません。もっと本質的なモノに目を向けるようになってきました。年の功、ですかね。一方で子どもたちや嫁さんは公の場での自身の見られ方を随分と気にします。よく言えば周りに気を使っているのでしょうけども、周りに流され過ぎだったり気を使いすぎだったり振り回されているとも言えます。
先の勉強の話について言えば、習い事の授業の残りを家で取り組み、次の機会には取り組んで終わった結果を子どもたちは持って行きたいのです。そういった見栄があり、子どもたちは容易に諦めることを嫌います。
意地っ張り
見栄と合わせて意地も張っています。ここまで頑張り続けたのだから、易々と諦めたくないという意地、です。これはもう自分との闘いです。子どもたちにこの気持ちがあるということは非常に頼もしい限りです。この気持ちがあると、自身の力が及ばずとも粘り強く挑戦し続けることが出来ます。ただ、デメリットとしては後先考え難くなることです。どういうことかと言うと、それに固執して自身の持ち時間が有限であることを忘れ、他のことが蔑ろになってしまうのです。
これから色々な物事が複雑化します。無骨な意地と根性は基本として重要ですが、自身の身を守るためにも柔軟性も持ち合わせてもらいたいものです。私が不器用で苦労したので、子どもたちにはそうなってほしくないですね…。