生産性の無い争いが嫌い
育児生活に多くの時間を費やす日々の中で、たまに自分自身に対する発見や気付きがあったりします。と言っても、普段からそんな高尚なマインドど生活している訳でも無いですし、発見出来たことや気づいたことが必ずしも価値のあるモノという訳ではありません。ですが、今まで気付いていなかった自分を知ることはこれからの自分攻略に大いに役立ちます。勿論、対策出来ることとそうでないモノがありますが、何はともあれ、まずは知ることです。最近、育児生活の中で気付いた自分自身は、どうやら、“生産性の無い争いが嫌い” ということです。
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時間に余裕が無い故
毎日、本当に慌しくバタバタした生活を送っています。特に子どもたちは睡眠や遊びも大切な営みです。なので、1 分 1 秒たりとも無駄にしたくありません。そんなマインドでいるためか、子どもたちが時間を無駄にしている様を見ると物凄くイライラします。しかも二人して意味のない争いをしていると余計にイライラします。例えば、どちらが先か、だとか、どっちが傘立てで好きなところに立てるか、だとか。二人で時間を奪い合っていますので、傍からそれを見る私のイライラの積もり方は 2 倍以上です。
どちらが先でも、後の方が何か出来なくなることはありません。そんなことに時間を費やさず、無駄な争いを避けて譲り合い、その時間で他のことをすべきです。
争うところが違う
うちの子どもたちは生まれる前から 2 人ずっと一緒に時間を過ごしています。保育園に通っていたときは親である我々から離れて時間を過ごしていましたが、それでも 2 人は一緒です。就学に伴いクラスがバラバラなこともあり、今では別々の時間を過ごしていますがそれでも通学だとか学童とかで一緒に時間を過ごしているため、以前と比べてやんわりしながらも、それでもやはり 2 人はずっと一緒に居ます。そんな 2 人なので、2 人の中での価値観もあることでしょう。そのため、私から見ると無駄な争いであっても、もしかすると意味があるのかもしれません。
がしかし争い方が明らかに低次元です…。もし争うなら、どちらが精神的に成長しているかどうかを競って欲しいです。譲ってあげたり、片方が始める詰まらないことに関わらず放っておけるようになったり、そういった心の広さを競って欲しいものです。
2 人して足を引っ張りあい、2 人して幼稚で低レベルな争いを繰り広げる生活ですが、これもそのうち、終わるモノです。そう考えると、傍から見てそれを楽しむのも今のうちかもしれませんね。