不祥事による降板て誰得
私が幼少の頃と比べると、随分とメディアは発達していて、多くの情報に多くの人々が簡単にアクセス出来るようになっています。そのためか、何か生じた際にそれを知り得る人の数も物凄く多くなっており、著名人のプライバシーは昔よりも増して蔑ろにされる傾向に感じますし、何かしらの不祥事の報じられ方も随分と攻撃的になっている気がします。
勿論、不祥事自体を擁護するつもりは無いのですが、仕事およびその成果と私的な生活は切り離した方が分かりやすいと思っています。私生活での失態を仕事で責任取るというのはいかがなものかと。誰も幸せになれません…。
スポンサーリンク
ノーミス前提が異常
著名人はある種の人気で生業が成立するモノです。要するにファンが居てそのファンが満足した分を支払い、該当著名人・パフォーマーは生計を立てられます。ファンは該当著名人のプライベートにも興味を持ちます。そのため、もしそういった著名人が私生活で不祥事を起こしてしまうと、ファンが離れたり、世間体が悪くなったりして、CM 降板だとか、ドラマやら映画降板だとか、何かの出演が停止になったりだとか、そんな話になるのが最近の傾向です。
これ、何か異常に感じます。人間は間違いを犯します。その過ちを罰する仕組みもあれば、清算することだって出来るのに、1 度のミスでメディアや作品から姿を消すことになるのです。
バランスが大切なのでは
降板という責任の取り方は納得感があります。非難される機会を排除する方法です。ですが、不祥事の責任を取ることも大切だけど、引き続き活躍して貰って人生を豊かにしてほしいと思うファンも多くいるのです。そういった方々はこの責任の取り方でどう満たされたら良いのでしょう…。
なので、続ける・続けないの 0/1 ではなく、続けながら罪を償うようなそんな取り組みを社会が認めることが出来ると良いと思うのです。それは恐らく降板したり辞めるという決断よりも苦しく重い責任の取り方になると思います。ですがその重さに耐えてでも、まだまだ応援してくれているファンには応えてあげて欲しいと思うのです。メディアもそんな温度で報道すれば良いのに、どうにも出る杭を目立たせて皆で打ってスッキリする雰囲気です。好きになれませんね。この傾向。