職場の懇親会の幹事業は業務なのでは
このブログでは育児生活を中心に綴っていますが、親である私の生活に関わる話も記載しています。親の生活も含み、全部で育児生活です。育児生活が特別なのは生まれて間もない頃が MAX で、少しずつ日常化します。就学する前くらいまでは毎日ドタバタしていたので、その特別感は顕著かと思いますが、次第に子どもたちと親は時間を共有して生活しているだけに過ぎないことに気付くかと思います。そして将来的に子どもたちが独立してしまうと、長い人生の中の期間限定の貴重な時間を過ごしていたと再認識するのだと思います。
と言う訳で今日は私の仕事に関するお話。育児生活は特別ではないと綴りましたが、育児生活の中での仕事への取り組みと、仕事一筋な人との取り組み方ではやはり差があります。今回、私が頭を悩ませているのは職場の懇親会です。
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仕事の後の取り組みの多様化
コロナ禍では懇親会が開催されることもなく、懇親会すらオンラインで開催されていました。ワクチンのおかげでもはや過ぎ去ったコトのように感じてしまいますが、多くの犠牲者を出しましたし、今もまだコロナに疾患して症状に苦しむ方もいらっしゃいます。油断は禁物ですが、今では懇親会の開催も普通になって来ています。
一方、コロナ関わらず、日本では若者のビール離れだとか、そもそものアルコール消費量の減少が生じていました。職場の懇親会に自ら参加したい人も減ってきているのだとか。恐らく、一昔前と比べて各従業員の生活や責任が多様化しており、仕事に使う時間とそれ以外に使う時間とメリハリがついている程、忙しい人が増えたのではないかと思います。例えば私の場合、若者ではありませんが、仕事だけでなく育児もあるので、仕事のパフォーマンスやら成果がイマイチで、なおかつ趣味が充実している訳でもなく、常に慢性的な疲労感だとか睡眠不足だとか体調不良で元気が無いです。
業務扱いされない懇親会
そんな社会・時代背景の中、前述の通り職場の懇親会は以前程ではないにしても開催されるような傾向にあります。職場の人たちとの会話の機会や交流の場を否定することは出来ません。それはお互いの仕事のためでもあったり、今後もお互いが楽しく時間を共有するためでもあったり。それでも基本的には仕事目的なので、業務扱いにして貰えると参加しやすい人は多いと思いますが、有志で参加という位置づけが一般的と思います。義務感を感じる有志なので、真に参加したいと思う人以外、モヤモヤしていたりストレスを抱えながらの参加となるでしょう。翌日も辛いですしね。
という社会人あるあるはさておき、参加者というより幹事はもっと地獄だなぁと思えて来ました。この手の懇親会のトリガーは、たいてい、責任者だったり幹部だったり。そういったポジションの人が自ら幹事業をするなら良いのですが、任される場合もあります。任された人が私のような生活を送っていると、家庭を犠牲にする必要があります。勿論、職場の他の方に代わって貰うこともしますが、それでも回数が多くなると少しは貢献しなくては、という責任感が生じます。これはまるで仕事のようですよね…。幹事はお店の手配だけでなく、当日の参加も必須。これこそ業務扱いにして欲しいモノです。