憂鬱の原因は責任感か…?
このブログは育児生活を中心に綴っていますが、育児だけでなく私の仕事についても触れることがあります。子どもたち中心の生活は続きますが、発熱や下痢で振り回されるようなフェーズでも無くなり、今は子どもたちと一緒に生活している、といった感じです。普段の生活の中で、仕事に費やす時間の割合はやはり大きいです。なので、育児と同時並行で生じている社会人生活もまた、親からすると普段であり日常なのです。
と言う訳で今日は仕事の側面。と言うよりもまぁ、1 人の社会人としてって話なのかもしれません。何というか最近、気が重く、憂鬱気味なのです。
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不安なコトだらけ
どうにも数週間先、数か月先、1 年、もしくは数年先のことで不安になることが山ほどあり、気が滅入る感じがします。勤め先の事業・経営状況の不安も勿論ありますが、それよりも何よりも、自身の労働力としての価値に不安と疑問があります。果たして私のような人材に需要はあるのだろうか、と。何か大きな達成やら得意なモノがある訳でも無く、活躍出来る訳でも無く。また、経済的なコトのみならず、例えば子どもたちの将来とか、少し近い未来の話で言えば中学受験の話だったり。もう本当に不安なコトだらけで頭パンクしています。
全てのモノゴトを放り投げて、忘れてリフレッシュしたいのは山々なのですが、どうにもそうも行きません。色々と気になって不安は残り続けます。
責任感が原因か
しかし一体いつから憂鬱な気持ちってのは出来始めるのでしょうか。少なくとも赤ちゃんはそんなモノ持って無さそうです。今を必死に生きていますから。小学 3 年生のうちの子どもたちもあまり無さそうです。勿論、合否が決まるようなテストに臨むときだったり、ステージ上で発表に臨むときは緊張が生じているので、不安や憂鬱な気持ちも生じている模様ですが、そこまで大きく無いです。
子どもたちと私との違いを考えたときに、やはり責任の有無が原因かと思いました。子どもはどう失敗しても親が責任を取り、安全圏に居続けられます。一方、親、すなわち大人はというと、社会のセーフティネットが存在しながらも、やはり失敗したり上手く行かなかったときに被害被ることをよく理解しているので、失敗を恐れてしまいます。何もこれは挑戦を避けるといった話だけでなく、大きな挑戦が無く淡々と日常を過ごす場合においても、予期せぬコトや燻ぶっているモノゴトがトリガーとなって自身の脚を引っ張り、失敗に至るケースも該当するので、憂鬱な気分は保守的に振舞えば生じない感情で解消できるという話もありません。
底抜けに無責任でポジティブな人が本当にうらやましい限りです。