結局行き着く定石(見守る)

このブログは子どもたちが生まれることを機に始めた育児ブログです。最近では子どもたちの勉強だとか成績が悩みのタネに。生まれてまだ月日が浅かった日々は子どもたちの病状とか発育が心配だったというのに、随分と大きくなって注力とか焦点は変わってしまいました。特に中学受験に向けて取り組んでいることもあるので、子どもたちの成績には敏感になってしまいます。
そしてその成績に大きく関係する子どもたちの勉強への態度とか姿勢。竜太のこれが物凄く酷く、家庭内で怒号が響いている日々を過ごしています。そしてようやく見えてきた竜太の本音。そこを鑑みて親として出来ることは、皮肉にも教育本等で言及されているような見守るという行為以外に無さそうです。
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親の言葉はより響かなく
年齢を重ねるにつれて、子どもたちは色々と自走して行きます。その分、手がかからなくなると淡い期待を持っていましたが、実際にはもっと重い試練が待ち構えて居ました。子どもたちに芽生える自我と親観点の衝突です。親の観点の方が勿論ロジカルで正しいので、どうにか子どもたちにそれを伝えよう、わかって欲しいと必死になってしまいますが、子どもたちにはほぼ確実に伝わりません。
子どもたちの中には子どもたちなりの考えがあり、これまで無条件に親の言うことに従っていたのに、反発だったり、それよりも別のことが気になって親の言うことが届いて無くて全然違う行動を取ったり。親は子どもたちのことを思ってアレコレ言うのにも関わらず、子どもたちには届かず、親からすると言わんこっちゃない、といった事態に陥り、子どもたちの自業自得っぷりにストレスを貯めます…。
出来ることは見守るだけ
もうこうなって来ると親は子どもたちに何も出来なくなります。何をやっても反発して逆効果だったり、どんなに教訓めいたことを諭してみたとしても全く響かず届かず。一方で親自身の中の苛立ちとかストレスはどんどん膨れ上がりますし、年齢的にも更年期障害が影響してなのか、日々の忙しさと疲労が故なのか、感情が爆発して子どもたちに怒りをぶつけるという酷い事態に陥ます。
どうせ響かないのなら、どうせ届かないのなら、どうせ伝わらないのなら、どうせ子どもたち本人に逆効果で悪影響が及ぼすのなら、それならいっそ何もせずに見守る方が何百万倍もマシだったりします。親は子どもたちの歩く道の石を拾うのではなく、失敗をさせて、命に関わるようなときに助けられるように、最悪の事態で子どもたちから相談されるときのために見守る、という考えがあるかと思います。がしかし、この育児生活で分かったことは、見守るより他に出来ることだったり効果的なことが無いからなのだと痛感しました。もう子どもたちもそんな歳になっているということです。遂にそんな年齢になったということです…。