一般・常識の概念で成り立つモノゴトの価値

このブログは子どもたちが生まれることを機に始めた育児ブログです。最近では子どもたちの学力に悩みのタネがシフトしていますが、始めた当時はもっと子どもたちの病状や発育に焦点が当たっていたように思えます。勿論、咳や熱といった症状は今でも生じ得ますが、子どもたちが保育園に通う頃に比べると頻度がグッと下がっていて、幸いにも悩む程のモノでは無くなって来ました。
ただ、心の成長というか、大人に向けての心構えというかそういった面の不安はまだまだ残ります。特に竜太。このブログで触れる話としては最近中心になることが多いと思います。竜太が一般常識を身に付けるのは果たしていつになるのだろうか…という物凄い悩みを抱えています。
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普通やらないことで守られる社会
日本において、平和だとか平穏というものは、失って初めてその大切さに気付く類のモノなのかもしれません。日本は平和で平穏です。これに慣れてしまうと、いざ海外旅行に行くと怖い目だとか痛い目に合います。平和ボケ、というやつかもしれません。
しかも興味深いのは、この平和や平穏が厳格な法律や規制で成り立っているというより、国民性というか、文化というか、それこそ一般常識によって成り立つところが多い点です。例えばコロナ禍のとき、日本はただ緊急事態宣言をしていただけです。それにも関わらず、基本的には外出せずに自重する人が大多数でした。また、災害時に火事場泥棒が他国と比べて少ないという点も例としてあげられることが多いでしょう。
常識範囲を超える竜太の我儘
一方、竜太はまだ小学 4 年生ということもあり、まだまだ未熟です。がしかし、もう小学 4 年生でもあり、世間や社会からは歳相応の見方をされる年齢にもなっています。例えば学校内においては、1-3 年生が前半の 3 年間で、4 年生はもう後半です。実は 6 年生卒業までもう 3 年も無いのです。2 年と半年強、といったところです。そう考えると、やはり小学校の中では上級生寄りであることがよく分かり、そのポジションでの言動が期待されるようになっています。
ところが竜太の場合はまだまだ一般常識が定着していないだけでなく、頭ではわかっていても衝動とか我儘を抑えることが出来ず、容易に非常識な行動を取ることが多いです。例えば夜 21 時過ぎているのにパジャマ姿で外に出るだとか。理由は嫁さんが食材を買いに外出し始めて、それを追ってしまった、というもの。これを小 4 の年齢でやります。そして本人は何の罪悪感も背徳感もありません。
正直、視野が狭く我慢を殆どしない竜太の将来が不安です。将来的に犯罪に手を染めないか気が気ではありません。常識だとか一般だとか、こういった概念がいかに社会で大切なのか。早く竜太に伝わると良いのですが…。