才能、努力、興味の関係

このブログは子どもたちが生まれたことを機に始めた育児ブログです。気が付けばもう子どもたちも小学 4 年生。中学受験に向けた勉強が本格化しており、毎日、大半の時間を勉強に費やす生活となっています。子どもたちが幼少の頃にあまり双子ならではの悩みを感じずにいたので、双子が大変、という話は一体何だったのだろうと思う程です。とは言え、だからと言って子ども一人を相手にすることと比べたら、二人同時進行だったことは勿論大変でした。が、それは年子のお子さんがいるご家庭とそう変わらないと思っています。
がしかし、学力だとか成績で子どもたち 2 人に差が生じると、年齢の異なる兄弟のそれと異なり色々と悩ましく感じてしまいますね。今まさにそんな感じですが、成績や学力に影響する要素として才能、能力、興味があると思います。勿論、環境もですが、我が家においては二人で環境は同じですので、あまり考察に入っていません。で、話を戻しますが、才能、努力、興味の 3 つはなかなか悩ましい関係にあるように思えています。
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器を意味する才能
私が学生の頃、特に中学だとか高校の頃ですが、どんなにどんなに努力しても全く足元に及ばない人が何人もいました。少しくらい勝ち目があったり勝ったことがあれば話は別なのですが、本当に殆ど完敗、全敗とかそんな感じ。あんなに頑張っても無理でしたし、大学受験という意味においては、あんなに努力したのにも関わらず、該当の大学の模試だとか過去問で手応えを感じたことが無いあたり、どうやら私にはそこまでの才能が無いということを思い知った気がします。
才能は各自の器を意味します。それは生まれ持ったポテンシャル。どんなに努力をしたところで、その器以上は入りませんし、その器に注ぎ込む知識が入りやすい、入り難いも器の形状で決まっている気がします。私は残念ながら才能が無く、受験時に競争している相手に負けないように努力で補っていたように思えます。入り難く小さな器に可能な限り入るように、人の何倍もの努力をしていました。
努力の源泉が興味
では努力はどこから出て来るのかというと、やはりそれは興味だと思います。私は大学受験に合格した後の生活や人生に物凄く興味がありました。頑張って勉強して、同学年の人と競って何位になるのか、物凄く興味がありました。到底勝てない相手が何人もいるので、1 番には絶対なれないにしても、それでも努力すれば上位に入ることは出来たので、その達成感が心地良く。逆に言えば気を緩めて勉強をすることを止めて、その順位がジワジワと下がっていくこともストレスに感じるので、そういった意味で努力を続けることが出来たのです。
一方のうちの子どもたちはというと、竜子は志望校の合格に物凄く興味を持っています。そこから努力を意味出し、行動が伴っています。一方の竜太は口ばかり。行動が伴っていません。志望校の合格に興味を持ちつつも、苦しいと感じてしまう勉強や努力を嫌がります。そこまで優先度が高まらない程度の興味でしか無いようです。竜太は竜子よりも才能が無いとたまに言いますが、それについては懐疑的です。親バカだとか、親の過剰な期待と思われるかもしれませんが、事実、竜太も一生懸命取り組んだ算数において、通っている塾の同学年でかなりの上位を取ったことがあるのです。本当に才能が無い人がそんなこと出来るように思えませんし、遺伝子の話で言えば竜子とそう変わらないはずです。竜太はただの努力不足です。努力を生み出すための興味を育むことが出来るか否か、なのですが、竜太には難しそうです…。