玉石混淆をどう扱うべきか
2018/09/13
色々と厳しい社会情勢の中
未来のために準備したり用意したりすることは
とても自然な流れと思います。
ただ、先の読めない世の中で
最悪のケースに備えて色々と活動していると
他の人からすると過剰な取り組みに見えてしまい
変なやつ扱いされます。
でも、不測の未来の中、
本当に大きなことが起きた後に生き残っている人というのは
変なやつ扱いされながらも淡々と準備しておいた人だったりします。
問題は、この一般化されていない準備の取り組みが
たいてい、玉石混淆だということです。
せっかく準備として取り組んだとしても
ただ石を拾うだけの取り組みになっており
何も取り組んで居ない人との差分は
約にも立たない石を持っているかどうかで
何もしない方が徒労に終わらず良かったのではないか
といった虚無感が漂います。
それでもなお、
やはり準備する取り組みに挑むことは大切と私は思っています。
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社会情勢が変わらない場合、徒労になる
例えばここのブログでも触れていますが
将来はどこかの企業に属するのではなく
自立して自身のビジネスを持ち
なおかつ資産管理・運営をして
経済的に自立するような生き方が求められると思っています。
簡単に言うとサバイバル力、ですかね。
でもこれは、
今まで通りの社会情勢が続くのであれば
これまで通りの戦略で
大手大企業に努め続ける方が正解かもしれません。
なので、私が前述したところを目指して準備することは
徒労に終わる可能性もあるのです。
挑み続けるべき理由
それでもなお、挑み続ける理由は何か、ですが
おそらくそれは、確率論だとか期待値の問題と思います。
つまり、玉石混淆ですので
大概は石を掴むことになります。
周りの人は石を掴んだ私やあなたを嘲笑ったり哀れむでしょう。
ですが、その試行回数を繰り返さないと
石ではなく玉は掴めないのです。
挫けずに挑み続けた結果手に入るのが玉です。
現状維持でそこそこの満足感とジリ貧を迎えるよりも
苦労しながらも掴み続けて、
最後には玉を掴んで杭のない人生を歩む。
やりたいのはこれだったりするのです。
とは言え、いい加減、石を掴み飽きましたね 笑
そろそろ玉を掴みたいところです。
まぁ、子どもたちは間違いなく、
玉ですけどね !