責任と免責と実状と
前回、私の中でのイライラが爆発してしまい、
竜子 (仮称) を叩き過ぎてしまったことに対して
もうそんなことを繰り返さないためにも
二度と叩いたりしないと宣言していました。
その中で色々と考えること、思うことも多々ありました。
今日はそのことに触れたいと思います。
スポンサーリンク
責務と免責
大人は色々と責任を負っています。
育児に関しては親の責任、
育児を助けるサービスを提供する人や組織の責任、
市民の生活や人権等を気にかける自治体や行政の責任、
などなど、色々な人が色々な形で責任を持っています。
で、それぞれの責任に基づいてルールやら規則やら
それらを支える法律だとか司法があります。
ただし、それは言葉を代えると免責です。
ルールや規則に則っている限り、
責任を果たしており守られます。
一方、親の育児の責任に対するルールやら規則は
支えるモノがなかったり、
あったもしても、
守っていてもあまり免責にもなりません。
なぜなら、いくらルールや規則に則ったとしても
子どもたちにとって良くない結果になるようでしたら
元の子もないのです。
実情を踏まえた判断
私は今回、保育園の園長先生に呼び止められ
色々と気にかけて頂きました。
もちろんそれは保育園の責任に基づくところがあります。
万が一、私が児童虐待の末、子どもを手にかけるような
そんな親であっては、子どもたちの命や人権に関わる話で、
子どもたちを私から取り上げて保護する必要があり、
保育園やその他の施設・サービスは連携してアラートをあげて
子どもたちを守るような仕組みが存在するのです。
ルールや規則に淡々と従えば、私は通報されています。
ただ、園長先生は、
私のことを理解・信頼し、通報不要と判断してくれたのです。
これは規則・ルール外の振る舞いと思います。
現場による責任を持った判断です。
保育園で出来るサービスやサポートは色々な理由があり限界があり、
あまり大きくアテにしていませんでしたが
信頼を置いて頂けているという事実は非常に有難く、
この信頼を裏切るわけにはいかない
と思い直しているところです。
多忙と疲弊している中での感情コントロールは困難ですが
色々な人たちからのご厚意や信頼を裏切るわけにはいきません。
何とか、立て直したいと思います。