親のエゴや試行錯誤による賜物と犠牲
2019/06/25
最近、
子育てと仕事の両立に励む
とあるママさん (職場の同僚) とメールのやり取りがあり
そこで考えた内容に今日は触れたいと思います。
そのママさん、どういう訳か、
育児に関わる啓発本とかも出版するような人と接点があるらしく
その人が近日中に開催する講習会があり
そのお誘いのメールを私が受けました。
もともと、私はその手の類の取り組みには前向きで
社会人こそ、色々な場に足を運んで
勉強すべきと思っていますし
そのようなきっかけが無ければ
惰性で生活を続けてしまい
色々と足を止めて考えることもなくなってしまう
と思っています。
ただ、今回のお誘いに関して
お断りしました。
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手段や指針を取り入れる前に目標設定
というのも、
私が現時点、
ある意味、迷子な訳です。
道を見失っている感じです。
自分の幸せの定義は何のか
以前から何か見い出すことが出来ず
ずっと曖昧なまま
今に至っています。
そのうち、何か見えるだろう
と思っていたり
取り敢えず、
家族だとか子どもは
どうやら幸せの定義に含まれるらしい
といったことがわかり
今時点では満たせて居るので
ある程度、
それで満足してしまっていた気はします。
ですが、この先、
何がどうなれば
自分は幸せだと言えるのか
自分の中で定義出来ているかというと
そんなことはなく
目標未設定のままだったりします。
この状況において
講習とかで情報を仕入れたり
何かを学んだとしても
それを持って進むべき場所がわからないのであれば
結局、足は踏み出せません。
しかも、万が一、実は自分の求める幸せからは
逆走するようなモノを仕入れてしまっているとなると
その行動は後ほど、かなりの後悔を生むように思えています。
子どもの幸せの定義
教育指針や方向性に悩みが生じるのは
果たして子どもが望む幸せに導けているのか
といった疑問が湧く点です。
親の指導によって誘導されるのは
子どもです。
子どもにとっての幸せの定義は
何なのか
と考えてみたのですが
これまた難しい話です。
まだ小さな子どもたちは
そんなことまで深く考えませんし
取り敢えずお母さん (嫁さん) が大好きで
ご飯とデザートも大好きで
遊ぶのも大好きで
きっと今の生活の大好きなことだけをするのが
幸せなのだと思います。
将来、どうなれば幸せなのか、
小さな子どもに考えさせるなんて無理があります。
なので、子どもの幸せの定義なんて
考えたって解決しないですし答えが出てきません。
となると、結局
小さな子どもたちは
親のエゴや試行錯誤に流されるしかなく
その賜物だったり犠牲だったりが
子どもに残るだけです。
なので、親として悩ましい、
どの方向に導くべきなのか
といった疑問については
子どもではなく、
親が決める必要があるのです。
親が何もせず子どもに自然体で任せる
といった決断をしたとしても
その決断をしたのは親であり
これもまた、
親のエゴと試行錯誤に分類されるのです。
で、自分自身の話に戻すと
果たして、私は子どもたちに
どのようなエゴと試行錯誤を
思い描いているのか
何か具体的なビジョンがあるかというと
やはり、まだ無いんですよね。
これは自分の幸せの定義にも関わる話です。
やはり、行き着くのはこのあたりになりそうです。
引き続き、考えていきたいと思います…。