二人で共同戦線 共通の敵 (私)
子どもたちを叱ったり、
子どもたちに対して怒ってしまう際、
いつも難しく思うのが
許容と否認のバランスです。
需要と否定のバランスと言い換えても良いかもしれません。
どこまでを許してあげて
どこまでを譲らずにおくべきか。
いつも悩ましく思っています。
そんな中、残念ながらまたいつものように
子どもたち二人に怒ってしまったのですが
少し肩の力を抜いてみると、面白い事象が起きていました。
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怒るべきして怒る
そもそも、私は怒ったり叱ったりしたいかというと
全然そうではありません。
怒ってしまったり叱る際は
結構パワーと精神力を使っているらしく
どっと疲れますし
最近はそのストレスで頭痛すらします。
なので、最初から怒るようなことはなく
怒りたくないので警告・注意を何度もするのですが
平気でそれを無視して繰り返すため
キリがないため怒ったり叱ったりする感じになっています。
注意されていることは分かりながらも
幼いが故に理解しきれていなくて繰り返すのか、
怒られた傍から速攻で忘れているのか。
いずれにしても年齢が幼いためのものであれば
怒っても意味が無いと思いますが
確信犯なときもあります。
怒られることをやりながらも、
怒られることが分かっているので
それを隠そうとしているのです。
それを見た瞬間、物凄く怒ってしまい
その後に保育園に向かう際、
子どもたちと手を繋ぐのを拒否したのです。
すると…。
子どもたち同士で協力
私と手を繋げないことを悟った子どもたち。
結局どうなったかというと
子どもたち同士で手を繋いで
仲良く協力し合う感じになっていました 笑
二人で手を繋いで、
寂しさを解消して
だんだん楽しくなってきたらしく
何か二人でヒソヒソと笑っていました。
共通の敵である私に対する共同戦線で
二人仲良くしていました。
人間、哀しいもので
共通の敵や共通の課題があると仲良くなれます。
それが無いと、競い合うように喧嘩したりします…。
これは本当に悲しいことで
歴史が物語っていますし
身近な例でいえば、学校のいじめ問題もその類に思えます。
だからと言っていじめを容認する訳ではありません。
いじめは根絶すべきです。
それで命を落とす子どもが居て
その親の立場を想像すると
私も子どもを持つ親ですので
胸が痛み、いたたまれない気持ちになります。
少し脱線しましたが、
あながち、筋違いの話でもないように思えています。
他所の人に迷惑かけるよりも
家庭内で親の中でも父親が
子どもたちの敵役に回ることは
割と合理的かもしれません。
母親から愛情を得て
父親は必要悪の存在になり
子どもたちの共通の敵であり続ければ
総じて平和な気がしてきました。