他方への配慮
幸いにも子どもたちを授かり
嫁さんは無事に出産を果たし、
そこから育児生活がスタートしています。
里帰り出産だったこともあり
私が本格的に育児に参加したのは
子どもたちが 0 歳 3 カ月くらいのタイミング。
一番辛いと言われる期間に参加していなかったのは
申し訳なさと後悔があります。
が、そのタイミングで育休を取ってしまうと
その翌年度からの部署異動の流れに乗れず、
恐らく、0 歳のタイミングでの 4 月の保育園生活が
上手くいかなかったと思われます。
なので、まぁ仕方なかったかなとも思っています。
話は外れましたが
いずれにしても赤ちゃんから年長さんに至るまで
子どもたちの成長を見続けていますが
我儘を言うことと譲ることの
ある意味ゼロサムな関係を
どうにか理解して貰えないものかと最近思い悩んでいます。
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我儘を通したときの裏面
竜太も竜子もしっかり我儘を言いますが
どちらかと言うと竜太の方が我儘言っている気がします。
それも影響してなのか、
竜子は我儘を言って困らせるというより
スネて困らせることが多いです。
で、特に竜太には理解して欲しいのですが
何かをしたいと言って叶えて貰ったとして、
その裏で誰かが何かを我慢している可能性が物凄く高いということ。
例えば、今朝、まさにそうだったのですが
嫁さんが家を出る時間になり
時間が無くて焦っていました。
嫁さんは近くに居た竜子に、
スマホを取ってきてほしい旨を伝えると
竜子がスマホを取って来てくれました。
これに不満を思ったのが竜太です。
要するに、そのお手伝い、自分もしたかったのだ、と。
お手伝いなのだから、したい / したくない の問題ではありませんが
小さい子の考えなので、そこは目を瞑りましょう。
頼まれごとなのですが、自分のしたいことに昇華しています。
大人でもそんな風に取り組めれば
恐らく社会では成功するでしょう。
が、子どもなのでそんな高尚なものではありません。
で、自分がやりたかったお手伝いを竜子がやってしまい
案の定、文句と不満で泣き出し、ご立腹でした。
では竜子がそのお手伝いをせずに竜太に譲れば良かったのかというと
そうでもありません。
なぜなら、竜子もそのお手伝いをしたいのです。
どちらかが我慢、どちらかが出来る、といったゼロサムなのです。
我慢する側への配慮
何かを成し遂げたとき、
それが自分の力だ、当然だ、と思うことは傲慢と思います。
その成功を支えてくれた人たちがきっといます。
それを支えるために何かを我慢して譲ってくれている人たちも居るはずです。
そうでなければ、大した成功ではありません。
成功が大きければ大きいほど、
その成功の裏で、歩み寄りだとか譲歩されているモノ事・人が
きっとあるはずなのです。
そちらに目を向けることを
子どもたちにはしてほしいと思っています。
どうしてもやりたいことを通して叶えることは大切だけど
その背景には、誰かが何かを我慢しているのだと。
なので、
そこまで興味が強い内容であれば
何でもかんでもやりたいやりたい言うのではなく
どうぞと譲ることの大切さを知って欲しい、と。
自分にとって大したことではないものかどうかの見極め、
大したことではないなら譲ることの協調性、
どうしても外せないモノはしっかりとやりたいと主張する発言力。
これらのバランスを身に付けて欲しいです。
子どもたちにはまだまだ不可能ですが
これらを実現するためには、自己分析が欠かせません。
しっかりと自分と向き合って、考えられるような
そんな子になってほしいものです。