地頭の悪さを痛感 (私自身)
このブログで
以前も触れたかもしれませんが
日々の生活で
ふと、
再認識することがあるのでまた書き留めておこうと思います。
小学校、中学校、高校。
進学するにつれて、勉強量は多くなっていき、
学生生活を楽しく過ごしていた人たちからすると
実に地味で、活動量も少なく
コツコツと勉強を続けていた甲斐もあってか
私や嫁さんの時代では重宝される学歴を手に入れています。
そのおかげで、就職にも困らず、無事に社会人デビューを果たし
気が付けば転職も果たし、今に至ります。
そして子どもたちの勉強を見ていて
子どもたちが要領悪い様を自分の幼少期だとか
下手をすると今の自分自身にも重ねてしまい、
自分の地頭の悪さを痛感します。
これが遺伝しているかと思うと、
子どもたちに申し訳ない…。
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理解力が乏しい
私は大抵、
物事をスッと理解出来ないことが多いです。
特に小難しい話。
ん ?
てなります。
説明読んでも、聞いても、
何かピンと来ず。
逆にピンと来るモノもありますが
それは過去に類似する経験があるモノです。
経験則に当てはめると
つまりこのことを言っているのだな、
と推測できるからだと思います。
がしかし、これ、
理解とは程遠いアプローチ。
受けている説明を情報処理しているのではなく
経験則に当てはめて判断するという処理をしているのです。
なので、もしその類似経験が実は違うモノだと
大きく外れた理解になります。
実は私が英語のリスニング苦手なのも
これが原因と思っています。
言っていることは聞こえるのですが
どうにも理解が追いつかず…。
それは言語に関わらないところが欠如していたり苦手だったり。
割と致命的です。
竜太にも同様の傾向
うちの子どもたち、
両方とも基本的に話を聞きませんが
特に竜太はそれが顕著です。
というより、
竜太は話が分かっているようで
分かっていないのだと思います。
それぞれ、
(1 個とか 2 個) ずつ、
xx 組、
といった言葉がわかっていない模様です。
勿論他にもいっぱいあり
そんな言葉の理解力なのに
お話を聞きましょう、
とかって言われても、そりゃ本人には酷ですよね。
勿論、粘り強く教えていますし
竜太も一生懸命わかろうと努力しています。
が、どうにも苦手らしく…。
十中八九、私の遺伝子のせいです。
恐らく、文字や文章は読めるのに
意味が分からず内容が理解出来ない
といったことに
竜太は多く直面すると思います。
わからないことにイライラするでしょう。
きっとストレスでしょう…。
恐らくですが、読書を沢山して
文章と本の内容を読むことで疑似体験を積み上げて
何とか克服するしかないと思うのですが…。
果たして取り組めるかどうか。
本当に申し訳なく思ってしまいます。