見送り、出迎え大好きな子どもたち
以前も記載したかもしれませんが
うちの子どもたち、
手を振って行ってらっしゃいされたり、
手を振って行ってらっしゃいされるのが
物凄い好きらしいです。
先日記載した通り、
私が発熱して保育園に子どもたちを連れていけなくなり
急遽、嫁さんに連れていって貰いました。
その際、
玄関でも行ってらっしゃいと言って手を振ると物凄く笑顔で喜び、
窓から見える子どもたちに向けて手を振ると、
喜んで何度も振り返って手を振り返します。
どういう訳か、異様に好きらしいです。
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日常の幸せ
行ってらっしゃい、したりされたりして
笑顔になれるのって
実はこの上ない日常の幸せに思えます。
それこそお金で買えない幸せ。
手に入れようと思っても
簡単には手に入らず
日々の関係性だったり、信頼による所な気がします。
と記載すると、親の立場からの思い上がりかもしれませんが、
私から子どもたちに対して向けている愛情という意味においては
これは誇大表現でも何でも無く、
本当に子どもたちのことをかけがえのない存在に思っています。
家族の存在には物凄く救われています。
自分の人生に何の意味があるのか、
みたいな小難しいことを考えたとき、
独身では何の答えも出て来なかったのですが
今では、子どもたちの存在に救われています。
子どもたちのために自分は居る
何て言ってしまうと、子どもたちにとっては重いかもしれませんし
子どもたちが独立した後、私自身、抜け殻になってしまいそうです。
が、今は本当にそんな風に考えていますので
子どもたちが今よりもいっそう、手がかからなくなるまではそう思っておき、
子どもたちが巣立つまでには、
自分の生きがいや存在価値を他に考えていきたいと思います。
大人が失った楽しむという才能
うちの子どもたちが特別、なんて思い上がりや傲慢は無く、
小さな子どもたちなら誰でも持ち合わせているかと思いますが
単調なモノゴトでも、楽しいポイントを見つけて
しっかり楽しむ才能を子どもたちは持っていますよね。
なぜかそれを大人は失ってしまっていて
子どもたちの喜ぶモノゴトをくだらないと思ってしまいます。
そしてそれで喜んでいる子どもたちを見て
幼いな、平和だな、なんて上から目線で思ったり。
でもそれよりも
彼らと同じ目線になって楽しむ方が
何百倍も何千倍も何万倍も
人生幸せに感じますよね。
大人に足りないのは笑顔と楽しむ心なのかもしれません。
先のことばかりに気を取られずに
子どもたちのように
目の前にあることをしっかりと楽しむ
これが幸せのコツかもしれません。