聞きなれない午後 0 時
大人にとってはもう当たり前すぎて何の難しさも無いことでも、子どもにとってはまだ定着していなくて複雑に思える事柄がいくつかあります。小学校低学年で触れる時計の読み方だとか、時間の表現方法はまさにこれに該当するでしょう。
私は 12 時間で時刻を表す方法が嫌いです。8 時と言われても、朝の 8 時なのか夜の 8 時なのか曖昧ですから。それなら 24 時間で表現した方が特定できると思っています。8 時なのか 20 時なのか。時計が 0-12 の数字で表すことになっているからこんな煩わしさが生まれるのでしょうか。0-12 までだと、午前・午後、どちらを指しているのか意識する必要があります。面倒ですが、それで社会は成り立っているので、こちらから合わせる必要があります。学校でも習います。が、学校の授業の説明で、大人の私にとってなじみの薄い問題を扱っていました。
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正午 = 午前 12 時 = 午後 0 時
時刻を表す表現として、”正午” なんてモノがあります。幼少の頃の私の覚え方は、お昼の 12 時。お昼ご飯を食べる 12 時が正午のことだと。なので、正午は午前 12 時という感覚は持っていました。が、それはつまり午後 0 時でもある、と言われて妙な違和感が残りました。
言われてみればそんなに変な話もされていませんが、午後 0 時という表現が物凄く違和感があり…。午前 12 時という表現で 24 時間の表現で言うところの 12 時台を表すことが出来ますよね。午前 12:59 と表して、12 時間の表現では表せない 13 時の代わりに午後 1 時、と。なので午後 0 時という表現を使う機会があまり無かった気がします。
が、午後 1 時と表現出来るのだから、その前は ? と問われると確かに 0 という数字を使うしかなく、午後 0 時な気はしてきます。
13 個使うから重複するのでは ?
ちなみに。24 時間で表現する場合、24 時という表現はあまり馴染みがありません。23:59 の次は 0:00 ですよね。なので、0 時から始まって 23 時で終わり、0-23 で数字は 24 個。それにも関わらず 12 時間で表現する場合のみ 0-12 の 13 個の数字で表現します。なので、0 時と 12 時が重複します。これが無駄と言うか冗長というか。
しかもよくよく考えると訳が分からなくなりますね。午前 12 時はまだ良いのですが、午前 12:30 てかなり微妙じゃないでしょうか。それは既に正午を 30 分も過ぎているから、もうすっかり午後ですよね。それなのに午前と言っている。これを解決するには、12 時という表現を禁止するしかありません。つまり 0-11 の 12 個の数字を使う感じです。午前の最後は、午前 11:59 として、正午 = 午後 0:00 です。そして午後の最後は午後 11:59 で、次はもう日にちが変わって午前 0:00 とする。こうすれば違和感がありません。が、こうしてしまうと、最初に触れた “お昼の 12 時。お昼ご飯食べる時間” という慣習と一致せず、慣習の側面での違和感が残ります。
といった感じで、厳密に考えると謎だらけの話なので、こんなのを授業で扱う必要なんて無いんじゃないかと思えてきました。が、生活に関わるのでそうもいかないでしょうね….。