我慢や忍耐で成り立つ平穏

このブログは子どもたちが生まれることをきっかけに始めたモノです。育児生活を中心に綴っていますが、親である私の視点で考えたことや実感したことなどもたまに触れています。そういった気付きもまた、生活の一部ですから。
毎日、子どもたちを中心とした生活で疲弊していますが、それでも少しずつ大きくなっていく子どもたちの姿は愛おしく、いつも厳しく怒ってしまった後に申し訳なさも感じています。子どもたちが成長するにつれて、家族の一員としてのプレゼンスは守るべき相手という立ち位置から家族の一員といったモノに少しずつシフトします。これは即ち、今まで以上の共同生活になっていく、ということです。これには譲り合いだとか我慢だとか忍耐が必要になります…。
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何気ない幸せは努力の賜物か
毎日、バタバタと忙しく時間が過ぎて行く生活。その忙しさの中で感じる幸せがありますが、家族全員で暮らすという共同生活には衝突だとかストレスも勿論生じます。それでもなお幸せを感じるというのなら、それは即ち、家族メンバ全員の努力によるモノなのだと思います。
共同生活において、全員が好き勝手自由にノビノビして全員が幸せになることは結構難しいです。それぞれの趣味嗜好だとか優先事項が異なるので、誰かが我儘を言えば他の誰かが我慢する構図となります。でもそれは、メンバそれぞれがお互い様の状況。だからお互いに譲り合ったり、我慢したり、そうして全員が少しずつ不満で、全体で幸せな状況を作るような感じになります。
いざ爆発してみると
お互いを思いやる気持ちが前提で成り立つ調和だとか平穏。各メンバ、我慢出来るキャパシティだとか、時折必要となる我儘を許容して貰うことだとか、そんなのはバラバラです。ずっと我慢出来る人も居るでしょうし、割とコンスタントに満たされないと不満が爆発する人も居るでしょう。そうなると、結果的に我慢出来る人が割を食う形となります。その人が基本的には我慢し続ける形に。
で、いざそういった人が限界を迎えて爆発したらどうなるでしょう。常に相手のコトを気遣うようなメンバであれば、たまに爆発するその人を気遣うでしょう。ですがそうでない場合、その爆発した人が一方的に非難されてしまいます。これまでせっかく続いていた調和や平穏を崩す原因・要因のような扱われ方をします。そうなるともう悲惨です。これまで我慢し続けていたその人は自らの爆発を更に我慢して自己犠牲に走ります。丸く収めるために大人しくしておこう、と。その場合、果たして他のメンバはいつ気付くことになるのでしょうね。その人が犠牲にしているモノゴトを。