困難な達成を狙うと物欲は幼く感じる
2025/05/19

このブログは子どもたちとの生活を綴った育児ブログです。主に子育てを通じた生活を綴っていますが、子どもたちも今ではもう小学 4 年生ですので、子どもたちとの生活で特記すべきことが日常茶飯事に起きる訳では無かったりします。保育園に通っていた頃の、特に 2、3 歳になるまでの間は本当に毎日がサバイバル生活だったような気がします…。今では病状とか成長での悩みは随分と少なくなりましたが、子どもたちと生活していると、色々な気付きだったり人間としての学びが多くあるような気もします。
うちの子どもたち、小学 4 年生になって随分と大きくなったように思えますが、まだまだ誕生日プレゼントとかクリスマスプレゼントとか、旅行でお土産を買うだとか、誰かからお土産を貰うだとか、自分の欲しいモノを買って貰えるタイミングが物凄く嬉しいらしく、最近の人というより物欲に固執する私や私の親世代のような感じに見えます。がしかし、これ、時代遅れでもあるし、何だかちょっと幼くも感じて来ました。
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ある程度のモノは買える
自分で働いて収入がある大人にとって、欲しいモノを買うという行為は自身の責任の範疇で簡単に出来てしまいます。勿論、高額過ぎて購入出来なかったり、人気過ぎて品薄で入手できない、といった代物も多々ありますが、日常生活で興味を持ち買いたくなったモノについては何とか頑張れば買えるものが殆どです。例えば高級な服やカバンであれば、貯金を貯めたりボーナスや臨時収入を充てることで買うことが出来たり、値段次第ですが車や家はローンを組んで買うという手段もあります。
勿論、一般人の生涯収入を超えるような高額なモノであれば話は別ですが、そういったものを欲しいと思う場合は、最初から、まず叶わない夢と頭で理解していますので、凄い物欲が生じる訳ではありません。所詮、物欲が掻き立てられるようなモノは、買おうと思えば変えるモノが大半なのです。
得難い達成に魅せられる
買おうと思えば買えるモノよりも、頑張っても頑張っても達成が難しいコトに興味を持ち始めると、途端に物欲が薄れる気がします。例えば子どもたちの場合、何としてでも目指したい学校とかを思い描くことが出来れば、そこの合格に対する欲が何よりも強くなり、それと比べると物欲なんてどうでも良い些細なモノになって来ます。アスリートで言えば、何かの大会での優勝。音楽系の団体で言えば何かのコンクールでの金賞。こういったモノに目掛けて日々頑張っている人たちは、恐らく物欲を満たすことよりも勉強だとか練習を重ねて、少しでも入試合格とか優勝とか金賞の可能性を上げることに注力とか労力とかお金を費やすのではないでしょうか。
そんな感じで、物欲に駆られるよりも何か大志を目指している状態や姿は幼い感じから程遠く、尊い位置付けにも思えます。だからこそ、達成したときに本人のみならず、周りにも感動を与えるのではないでしょうか。