記憶に残らない愛情
2016/08/28
子どもたちが生まれたときには
一般的な赤ちゃんよりも小さく、
ICU 入することをギリギリ間逃れた体重でした。
双子だったり、
嫁さんの年齢的に高齢出産になってしまったこともあり
それは仕方がないことでした。
それでも特に大きな異常もなく無事にスクスクと育っていて
今では一般的な体重以上となってしまいました 笑
それでもたまに、生まれたてのときの写真を見ると、
今の姿に成長したのが本当に愛おしく思えて
まだ 1 際にもなっていない現状ですら
その成長に涙してしまいそうになります。
親である嫁さんと私は必死に子どもたちをお世話しており、
子どもたち本人も恐らく必死に生き残ろうと全力で泣いてくれます 笑
ただ、悲しいことに、このときの記憶は決して残ることはありません。
もちろん、親は覚えており、かけがいのない思い出になりますが、
子どもたち本人は忘れてしまいます。
私自身、0 歳児のときの記憶を持っていませんし、
そんな記憶がある人は稀でしょう。
悲しいですが、それが事実です。
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愛情を優しさに
そんな悲しいことを私が家で呟いていたのですが、
それを聞いた嫁さんは、
今与える愛情で本人たちが優しい性格になれると言っていました。
確かに記憶には残っていないかもしれませんが、
性格となって残るのかもしれません。
子どもたちが成長して、0 歳児の記憶が無いと言うと思いますが、
そのときには、
“優しい君たちのその性格は、お母さんとお父さん (もしくはママとパパ) が
君たちのことを大好きで一生懸命育てた証だよ”
と言ってあげられると良いですね。
優しさは弱さか ?
資本主義社会において、競争は基本です。
その意味においては、優しさは弱点にもなり得ます。
優しさよりも厳しさや生き残る力の方が必要とされるかもしれません。
ただ、最近思うのですが、
ある程度のところまではそれで何とかなるかもしれません。
でも、一つ抜けて高みに登るためにはそれだけでは不可能に思えています。
人格者であったり、底抜けの優しさを持つような人でないと
辿りつけない領域があるように思えます。
その資質が、
実はこの記憶に残らない期間で与えられる愛情によって養われるとすると、
親としては精一杯、愛情を注ぎ込んであげたいですね。
子どもたちの将来のためにも。