親が子どもたちの合格を望むか否か

このブログは子どもたちとの育児生活を中心に綴った育児ブログです。が、子どもたちももう小学 4 年生になり、通っている塾の授業も中学受験に向けたモノになっていて、過酷な中学受験への取り組みが本格化しています。子どもたちの成績だとか勉強が最近の専らの悩みのタネになっていて、このブログも中学受験ブログのようになっている気がしないでもありません。
子どもたちの息抜き用と私の興味もあり、先日、ドラゴン桜を全巻買い揃えていたところです。受験をテーマにした物語なので、子どもたちにも良い刺激になったり、戦略的だとか効率的に勉強することの重要さを漫画から学べればと思い用意しました。色々と目から鱗な話がありますが、先日、なるほどと思ったコトがありました。恐らく経済雑誌とかでも一部取り扱われたことのある 1 シーンだと思います。東大生の親は子どもの合格を望んでいたかどうか、というもの。
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親は唯一、結果以外を評価できる存在
先の問いの答えは、“どっちでもいい” だそうです。合格しても、しなくても、良いと思っていた親が東大生には多いそうです。漫画の中でも主人公が語っていましたが、社会はシビアで結果だけ求められる一方、唯一、親は結果以外にも目を向けて我が子を評価出来る存在なのだそうです。東大生の親は、自身の子が一生懸命頑張って勉強して難関にチャレンジしていることを見ています。もうそれだけで子どもたちを評価しており、合格、不合格といった結果についてはそこまで気に留めていないのだとか。
この話を聞いて、ハッとしました。私は子どもたちの結果を追い求めつつあるからです。それが子どもたちの負担になっていたかもしれません。既に子どもたちは一生懸命頑張っているので、そこを評価してあげないことには親失格ですよね…。ドラゴン桜を読んでちょっと反省してしまいました。
竜太はもう一頑張り必要
とは言え、このブログでは何度も触れていますが、竜太はもう一頑張り必要な状態です。いつも異様にトイレの回数が多いですし、トイレで費やす時間も長いです。恐らく、尿意や便意を徹底的に排除しようとしているのだと思います。勿論、遊びに夢中なときはそんな傾向ありません。要するに頑張りたくない勉強を中断する口実だとか自己正当化に使っているようなのです。また、竜太は最近、朝家での勉強を早めに切り上げて登校するようになってしまいました。それに賛同した訳でも、許可した訳でも無く、良いとは思わない旨を何度も伝えているのですが、竜太は聞く耳持たず。そんな日を何日も続けて、何かもうそれが習慣だとかルールかのようにしてしまっています。竜太は色々なところでそういうことがあります。禁止事項を好き勝手破り、もうそれをするのが当たり前かの状態にしてしまいます。こういうことをする大人はかなり嫌な奴です。不誠実ですし、筋が通りません。が、当の本人にその課題意識が無いので、恐らくずっとこうなるのだと思われます。
といった感じで、竜太の結果では無く過程や努力を評価するにはもう一つ足りない感じです。結果も出せず、努力も不十分な子どもをどう認めて評価すれば良いのか。それが新たな悩みになっています。