浪費は奥深い
2017/11/09
前回、我々消費者は
真に必要なモノ・サービスを厳選し
購入すべきだと記載していました。
売り手のビジネスにより “売る” 力学が発生します。
つまり売り手は様々な提案をしてきます。
全然必要としないモノ・サービスでも
あたかも必要に思えるようなアピールをしてくるため、
自分に必要だと錯覚してしまいます。
そのような錯覚に惑わされないようにするためには
自身の人生を自分で設計し
何が必要で何が不要か、
自分の設計した人生と照らし合わせて
自分で判断する必要があるのです。
で、消費に触れたので、
関連して今日は浪費について考えたいと思います。
浪費 = 悪
なので、
浪費 0 が正しいと安易に考えてしまいますが、
果たしてそれはどうか、という話です。
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浪費 = 出口
最初に結論を記載すると、
浪費は出口
です。
消費は生活に必要な支出です。
本当に必要かどうかの判断が重要だと前述しました。
一方、投資は将来への備えや期待です。
もしくは未来の自分への先送りです。
そして浪費は出口なのです。
投資によって備わった資金・資産の使い先です。
浪費癖がある人は資金を投資に回せず、
目の前の出口に注いでしまうのです。
これの良し悪しの判断は人それぞれです。
もしその目の前の出口を逃したら
一生公開するのであれば、
その浪費は正解だと思います。
一方、将来大きな出口を考えていて、
それが人生の夢だったりして
それを目指しているのであれば
目の前の出口に資金・資産を注ぐ行為は愚かです。
浪費はお金を産まないが、大事な出口
投資と異なり、
浪費はお金を増やしてくれません。
そのため、
浪費 = 悪
という印象が一般的です。
ですが、
投資で備えられた資金・資産は
それだけでは何も生みません。
その資金・資産を、
自身の叶えたい夢に注いでこそ
夢は掴めるし実現出来るのです。
もしかすると夢を実現すること自体に
投資要素もあるかもしれません。
夢を叶えることで
更に多くの富を生むものもあるかもしれません。
でももし更なる富を求めているのであれば、
それは夢ではありません。
夢の実現自体は、
富を生み出すことを目的としている訳ではありません。
夢が叶ったことで実感出来る
幸福感や自己実現、
これを求めているのです。
どんなに倹約家で、
浪費を一切排除出来る人であっても、
夢の実現のための支出が
富をもたらさないという理由で
資金・資産を注げないのであれば、
その人は不幸です。
なので、浪費 = 悪ではなく、
どこで、どのタイミングで、何に向けて浪費するのか、
それが大切なのです。