謙虚で気配り屋は損
このブログは子どもたちが生まれるタイミングでスタートしています。私の人生の中で、人の親になったタイミングが随分と大きな人生のターニングポイントになると思い、せっかくなので何か始めようと考えてスタートさせたのがこのブログです。子どもたちはもうすぐ小学 2 年生を終えて、4 月からは小学 3 年生になります。このブログも 8 年以上続いていることになりますので、同じような投稿、重複があっても致し方なしです。
前置きが長くなりましたが、今日は損な役回りの話です。このブログでも何回か触れていると思いますが、結局、我儘な人が得で、謙虚だったり気配りする人は損する世の中な気がしています。
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人間界でも弱肉強食
自然界では弱肉強食が当たり前。弱いモノは死んで、強いモノが生き残ります。そんな生命のサバイバル戦を横目に、人間は集団・社会で強さを確立して他の種族を圧倒してしまいました。ですが個々は物凄く弱い。弱くても生き残れる環境を作ってしまったが故に、弱肉強食の概念が薄れているのも事実です。
しかしその程度は国や文化によって程度差があります。競争を背景に続いたような国や土地と、平和で安定した時代を長く持った国や土地でその傾向は随分と変わるでしょう。例えば日本人は他国と比べると随分と安定した情勢が続いていますし、安全と平和が当たり前と思って育ってしまうほど他国と比べると危険が少ないです。そのため、個人差は勿論ありますが、お人よしだったり騙されやすかったり、自身の考えを主張せず穏便に済ましたり。そんな傾向があると思います。一方、他国では主張しないと飲み込まれて被害被るようなところもあり、そういった場合は何かあると随分と声を荒げて反発します。そんな人と、穏便に済ませてしまうような人とのやり取りでは、勿論、人間界においても弱肉強食が成り立ってしまうのです。
お互い様の精神は弱点…?
何かイザコザが起きたときだとか、ちょっとした衝突・紛争が起きたとき、片方が一方的に悪いケースもありますが、そういったモノは稀だと思います。双方にそれなりの言い分や非が少なからずあると思います。双方にそういった点を謝って歩み寄って良い形にしていくアプローチが人間社会においては教科書的と思っています。
がしかしこの考えは弱肉強食の考えと反しています。例えば片方がお互い様と思って譲歩の姿勢を見せても、もう片方は一向に自身の非を認めず、というかむしろ気付かず、一方的に他者の非や不出来に目を向けてマウントを取ってきます。こう考えると、鈍感力を持っていて自身を最優先にするような人が最もストレスなくノビノビと生き生きした生活を送りますよね…。周りの気配りをする人は一方的に損をします。勿論、そういったわがまま放題な人は他の人から信頼を得難いのですが、一方でそういった人が優秀で会って成果を出すタイプの場合、そのパフォーマンスを信頼を置く人が多く居そうです。
結局のところ、力が正義なのかもしれません。人間社会もまた、弱肉強食ですね…。