時折垣間見る高圧・忖度文化
このブログは主に育児生活を中心に綴っている育児ブログです。でも子どもたちと関係の無い話にも触れることがあります。例えば私の仕事の話とか。育児に関する悩みは尽きませんが、子どもたちとの生活と並行して私自身の人生も次へ次へと進んでいます。子育て世代が多く時間を使う対象は育児と仕事だと思います。仕事も生活の一部なのです。
といういつもの前触れが長くなりましたが、今日も仕事について触れたいと思います。
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日本のサラリーマン
およそ 4 年前に前職から現職に転職しました。子どもたちが熱や下痢で体調を崩しやすく振り回される生活が落ち着いたことを機に、意を決して転職活動に取り組みました。一度しか無い人生、しかももはや終身雇用の時代では無いと言われるご時世、果たして社会人スタートしたときに入社した一社目でリタイアする年齢までずっと働くべきなのか悩みました。
何やかんやあってご縁があって今の勤め先への転職を決めましたが、前職と同様に日本の企業って感じのところです。更に従業員の平均年齢も結構高い。それもあってか、まだまだ古典的な雰囲気が漂う場面があるように感じます。特に上の役職の人たちに対する配慮。本当に日本のサラリーマンて感じです。
忖度され続けることの弊害
人は何かに慣れてしまうとそれを当然のモノと錯覚します。以前もこのブログで触れた気もしますが、周りから忖度され続ける人は、恐らくそこに基準を置いてしまっています。忖度されている状態が普通、と。なので歯に衣着せぬことを言われると、普段・日常とは随分と違ったモノに聞こえるでしょう。それはもしかすると、攻撃にも否定にも捉えてしまうかもしれません。その結果、発言者が不当な目に合わされてしまうこともあり得ます…。そうした事態を避けて、更に周りの人は忖度を強めます。
こうして裸の王様状態が出来上がる訳ですが、こうなってしまうと厄介です。周りは忖度しますが、その人は周りのことに気を使いません。傍から聞いていると気分を害するような言いっぷりとかも平気でしてしまいます。それは場合によっては高圧的な態度にもなり得ます。しかしまぁ、これが社会と言われてしまうとそれも否定できません。少なくとも以前の日本ではそれが普通でしたから。
でも今は世の中が少しずつ変わっています。どの産業も企業も、過去から脱却しようと必死にもがいているところ。この忖度と高圧的な文化から、いち早く抜け出した人が次のステージに行けるような気もします。