竜太に対する感情の複雑化
このブログは育児生活を中心に綴っています。最近は育児と同時並行で進行している仕事のコトだとか私目線の人生観だとか、そういったモノにも触れています。忙しい平日が終わると土日のお休みが待っています。そんな生活リズムで、いつも土日を心待ちにして過ごしています。土日は子どもたちも学校がお休みなので、お互いに時間を共有して過ごせる貴重な時間。私にとって子どもたちが生き甲斐になっていることを再認識出来てしまいます。
その一方、お互いに生活時間を共にしていますし、子どもたちの勉強を私が見ていることもあり、子どもたちとの衝突も絶えなくなってしまっています。特に竜太の言動は最近酷く、私の感情を逆撫でることが多く、手を焼いていますが、竜太に対して私はどう思っているのか…。よくわからなくなってきました。
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嫌いな性格を少しずつ持ち合わせるように
常に家族が仲良しで家族同士の意気がお互いピッタリであれば何の悩みもありません。子どもたちが小さいとき、子どもたちは自我を持つより親である私たちに全てを合わせてくれました。ですが少しずつ成長して自分を持ち始めた子どもたちの性格だとか趣味嗜好が、決して親である私のそれと相性が良いモノかどうかは別問題です。同じ環境で生活しているので、凡そ外れることは無いにしても、微妙なズレや相違は生じます。
竜太は成長するにつれて、どうも私と考えが合わない部分を持ち始めていっています。それは子どもであり幼いが故のモノも勿論ありますが、どうやらそれだけでも無さそうです。そんな竜太のことを見ていて、親子という関係を抜きにしたら、私は竜太のことが好きと言えるかどうか。かなり微妙な感じに思えています。
それでも身を案じる
最近の竜太の言動だとか態度の悪さは本当に酷いモノがあり、そこに礼儀だとか敬意だとか、人間としての基本を欠いたモノは非常に腹立たしく、注意しても何度も繰り返され改善が見られない竜太に対して、単純に嫌悪感すら沸いて来ている状況です。一言で表現すると “嫌い” という言葉が一番、的を射ているような感情。
そこまで嫌っているのだから、もう何もかも放っておいて好きにさせたら良いと思うのですが、竜太が近い将来だとか遠い将来、困窮している姿を想像すると物凄く心が辛いです。竜太はモノゴトが自分が期待した状態にならなかったとき、本当に辛そうで悔しそうな顔をします。本当にノビノビと感情に自由にその辛さや悲しさを表現してぶつけて来ます。それを見ていて、”それ見たことか” なんて気持ちはさっぱり浮かばず、ただただ竜太が不憫に思えてこちらまで胸がはち切れそうになるのです。
私は竜太のそんな姿を見たくないですし、竜太の笑顔だとか、頑張って良かったと報われている姿を見たいのです。親のエゴです。私は竜太に厳しくしているのですが、竜太を放任して好き勝手させて失敗させる程の厳しさは持ち合わせてないのです。竜太のことは嫌いなのかもしれない。でも竜太のことが愛おしいのです。