行動で示しているものを尊重すれば良いのでは

このブログは子どもたちとの育児生活を中心に綴った育児ブログです。あまりアクセス数が無く、このブログをセットアップしたレンタルサーバ代すら賄えていない赤字ブログですので、このブログで最近、どんな話に頻繁に触れているかなんてわかっている人は稀有かと思いますが、最近の悩みは子どもたちの勉強や学力に関するところで、特に竜太の言動の不一致が感情を逆撫でしていて、いつも私は憤慨してしまいます。子どもたちはもう小学 5 年生で、中学受験に向けた勉強は既に本格化していますが、竜太は相変わらず勉強に身が入っていません。口ではエラそうなコトや尤もらしいことを言っていますが、行動と結果で示せていなく、特に結果については散々なことになっています。私はエラそうなことを言っておいて実際に行動に移せない人が嫌いです。そのためか、竜太を見ているとイライラします。
ただ、相手は小学生。頭で理解していても、なかなか行動に現れないこともあるでしょう。なので、イライラカリカリせずに、竜太の心の成長を待つしかないと思いつつも、ふと、竜太の行動面が本音なのだろうから、そちらを受け入れた方が良いのではないかと思ったりもしました。
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口で言うは体裁守るためか
私を含み、恐らく多くの人間がモノゴトを俯瞰的だとか客観的に見たり考えたりして、こうだと行きつく結論は、かなり理想論だったりすると思います。自身の至らなさやそこまで出来ていないようなコト、抜け落ちているところは棚の上にあげて考えますので。竜太が口で語るところはそういったモノな気がしています。これまで生きている中で、人目を気にしたり、他者や社会からの評価を気にかけたりと実に人間らしい考えも養われているのだと思います。そんな風に考えるようになった際、勉強したいのかしたくないのか、中学受験したいのかしたくないのか、合格したいのかしたくないのか、と言った問いをぶつけたとしても、理想的には勉強して中学受験して合格したい、と言うに決まっています。
実際に今の取り組みだとか努力用では合格しないことも十分理解していて、それでも続けると言うのは体裁を守るためにも思えます。止める決断はこれまでの自身の勉強の取り組みを否定することにもなりますし、親を始めとする大人への配慮もきっとありそうです。なので、止めたいけど止められないのかもしれない。
本音が現れる行動
その一方で竜太の示す行動は、本音を物語っているように思えます。勉強を頻繁に中断してトイレに行ったり、別の話題に首突っ込んだり、朝の勉強時間を短めて学校に早く行きたがったり、勉強のことそっちのけで学校の昼休みとかでの過ごし方に夢中になったり。最近、竜太は学校のお昼休みで音楽室に行ってピアノを弾いて、音楽の先生からアドバイス頂いているとのこと。それ自体、素晴らしいことなのですが、そこに向けて家で新曲の練習をし始めていたりします。その結果、勉強時間が減ってしまっていることには何ら罪悪感だとか懸念も無いらしく、相変わらず、やりたいコト、興味のあることを先に時間枠に突っ込み、残りの時間で勉強といった考え方のようです。合格を望むので張れば、合格に必要なコトを先に入れ、余った時間でやりたいことを取り組むようにするべきなのですが、竜太はそう出来ません。何度教えてもそうしません。
竜太の本音はきっとここにあります。将来の中学校生活よりも、今のことで頭がイッパイなのでしょう。それがきっと本音です。そっちを受け入れて、竜太の勉強についてはもう気にしない方が良いかもしれませんね…。