成果主義の罠
日本の多くの企業は
終身雇用だとか年功序列でした。
それが少しずつ、
近代的な文化 (主に欧米) を取り入れて
年寄り = 知見・経験が多く価値がある
といった見做しの評価をすることを止めて
実際に形として残った成果の有無で評価する
成果主義に変わってきました。
表面上は公平性だとか若者のモチベーションを考慮した変化ですが
最近、少しこの流れの変化に疑問を持つようになりました。
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有能でも評価されない時代
成果も出さずにサボっている人を評価しない
という意味においては
成果主義は効力があります。
ただ、問題は
所属する企業や組織が斜陽を迎えているとき、
公平に各従業員に成果のチャンスを与えられない点です。
この場合、
真面目にコツコツ大事な仕事をしていて
問題を起こさず安全運転をしているような人が
不平等な評価を得ることになります。
一方で、
そこまで優秀でなくても
目立つプロジェクトにぶら下がり
花火を上げることで目立つような人が
評価される傾向にあります。
こうなってくると
評価されるかどうかは
もはや世渡り上手かどうかでしかなく
本来の成果主義の意図と反する結果になっていきます。
まぁ複雑な世の中なので
その世渡りこそ大切なスキルだったりもしますが
その企業が本当にそんな人材を重宝するかどうか
よく考えないといけません。
ポスト不足の言い訳
年功序列であれば
ある程度の年齢と経験を重ねれば
一定の評価を得ることが出来ました。
性善説に従えば、かなり効率の良い評価方法と思います。
ただ、中にはサボる輩もいますので
そこが問題視されて成果主義に切り替わったように見えます。
その一方で、
実は前述のような斜陽を迎える企業の
ポスト不足の対策のようにも思えました。
年功序列であれば
年齢が上がっていく人たちに
ある程度のポストを用意する必要があります。
でも成果主義であれば
目に見えた成果がなければ
昇格させる必要が無いのです。
斜陽を迎える企業であれば
目に見えた成果を出すことが難しくなっていますので
そんな成果を出せる従業員は限定的です。
なので、少ないポストに対して
成果を出した少ない従業員を充てるだけで良いのです。
この問題への解決策は
恐らくいくつかあります。
1. 従業員が諦めて仕事に精力を込めない
2. 従業員が転職する
3. 従業員が自分でやり甲斐を見つけて自身でモチベーションを上げる
“3” を企業は求めますが
実際には 1 と 2 だらけになりそうです。
もちろん、このような企業であれば
成果主義ではなく年功序列にしていたとしても
解決はしていないと思いますが
成果主義で何とか凌いでいたとして
結局は破綻することが目に見えていますね。
さて、私はどうしようかな…。
育児と一緒に悩んでみたいと思います。