間違えない方法は挑戦しないこと
このブログでは何度も触れていますが、うちの子どもたちは毎日一生懸命勉強しています。が、勉強保質は随分と低いような気がします。どうにも自分事に捉えられえていなく、嫌だけどやれやれ言われるから仕方なしにやらないといけなく、完遂しないのも嫌だから何とかやっているといった感じ。自らの意思がないので、勉強に身が入って居なく、集中に欠けているので吸収も悪いです。恐らくこのスタイルではこれから大切な時期で伸び悩むでしょう…。
そしてもう一転、子どもたちが伸び悩む要因があります。これも何度か触れてきた気もしますが、それは間違いを嫌がることです。
スポンサーリンク
間違えない方法を問う時点で無理がある
竜太は誤答となることが物凄く嫌らしいです。理由は良くわかりません。解き直しが面倒だからだとか、プライドを傷つけるからだとか、色々複合的だと思います。そしてその嫌がり方は泣きわめく程で、まるでイヤイヤ期です。それでひと悶着あるのですが、ある程度落ち着きながら、それでも泣きながら竜太は聞いてきました。“間違いが嫌。どうしたら間違えないか” と。間違いに目を背けず、逃げず、立ち向かって受け入れて、それを解き直して勉強して、次は解けるように力を付けると良い、といった趣旨を説明しましたが、それと合わせてこういうこともアドバイスしました。間違えない、失敗しない方法は、挑戦しないこと。常に簡単で弱いものイジメのような取り組みをしていれば、間違えないし失敗しない、と。
間違いや失敗は成長の糧です。自身の力量を超えることに取り組むと必ず発生します。上達して習得するまで、間違いだらけ、失敗だらけです。それを嫌がり、そもそもそれが生じない方法を聞いて来る時点で、竜太には困難に挑戦する資質が無いことを痛感してしまいます。
中学受験は困難だらけ
子どもの成長は個人差があります。心の成長も然り。ずっと自身が完璧と錯覚して身の程知らずの状態から、少しずつ自分の力量を正確に見えて来て、足りない部分が分かってきます。そこを何とか伸ばそうとする努力だったり、そういった心が芽生えて自分を成長させようという心が養われて来ます。が、これも個人差があります。それなのに、小学 6 年生のタイミングで受験という困難に立ち向かう中学受験。明らかに学校の授業のレベルを逸脱する高いハードルの問題に対して立ち向かい、失敗や間違いを経て力を付けて本番に臨むことになります。
そんなプロセスになる中学受験。うちの子どもたちにはかなり分が悪いです。特に竜太。間違いを嫌がるのではなく成長の糧にするという発想を持てる成長を残り数年で養えるかどうか。かなり確度は低い気がします…。