少しずつ、一歩ずつ (人間性の成長)

このブログは主に子どもたちとの生活を綴った育児ブログです。最近、竜太のことで頭を抱えることが多く、竜太自身も何回も同じことで怒られていて窮屈そうです。竜太の気持ちや想いもわかるのですが、残念ながらそれが許される年齢でもなく、歳を重ねて成長するということは、歳相応の責任や管理を社会から期待されてしまうことに子育てを通じて気付かされます。
本来、個人差や個性があるので、個々のペースで体と心を養うべきと思いますが、社会というシステムは大多数に向けた最適化がなされており、そこに含まれる人は何の不自由も無くその恩恵を享受出来ますが、そうでない人は無理なペースを強いられ、随分と苦しむように思えます。竜太の場合も然り、です。
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気が付かせてやるべきか否か
うちの子どもたちは精神年齢が実際の年齢と比べて低いようです。何かいつまで経っても発想と言動が幼稚です。勿論、親からするとそのあどけなさや純粋さが可愛いので、まだ暫く今のままでいて欲しいとも思えますが、前述の通り社会性を考えるとそうもいきません。
そしてよく考えて思い出してみると、私も幼少期の頃、随分と世間知らずだったような気がします。物事を知らないことを同級生に揶揄われたり馬鹿にされた記憶もあります。その都度、悔しさと相手の言っていることがイマイチわからない辛さを抱えていた気がします。それはうちの親が世間知らずなことと、あまり私にそういった細かい常識を教えることが無かったからだと思います。あまり口煩く言われず、ノビノビと過ごしていたことになります。
果たしてうちの子どもたち、特に竜太にはどちらのアプローチが良いのやら。
根気良く伝えるが
取り敢えず私はなるべく根気良く竜太に指摘して伝えています。ですがこれが竜太にとって窮屈だったりストレスになっていることも事実です。嫁さんには嫌味とも非難されています。もっと褒めて伸ばせとも言われています。勿論、褒めるところは褒めているのですが、竜太の場合、やってはいけないと普段から口煩く言っていることを殆どしっかりとやり切ってコンプリートしていますので、褒めるどころか叱ることのオンパレードになります。普段から口煩く言われ続けてしまう程、竜太は繰り返してしまうことなので、そんなにすぐには直せないのでしょうね…。
それでも少しずつ、もしかすると改善させようとしているのかなと思える言動もあったりします。そういう小さな進捗にも目をやり、気長に成長を促すしか無いかもですね。しかし気がかりはその成長が中学受験の勉強期間に間に合うのか否か。受験間際にようやく成長しても間に合いませんので。非常に悩ましいです。