社会との関わり (政治に参加)
今日 (2024.10.27) は投票日です。第 50 回衆議院議員総選挙、なのだとか。知事選だとか、その他にも色々な選挙があるので、毎回、また選挙か、といった気分になります。しかし割と律儀に投票権を行使しています。でも実は大学生の頃とか、独身の頃は、選挙 = 面倒 というイメージというか考えが強すぎて、いつも投票所に行くことも無く見過ごしていました。嫁さんと結婚して結婚生活が始まり、投票のタイミングがあり、嫁さんが普通に選挙に行こうとしていたので、それを否定することもなく乗じて投票に行くようになり、今では当然のことになりました。まぁこんな経緯なのでエラそうなこと言えませんが、選挙の投票、行くべきと思います。
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結果も過程も
私が独身の頃に選挙で投票に行かなかった理由は、前述のように面倒臭いというものでしたが、それよりも何よりも、自身の 1 票で社会が変わるとは到底思えず、自身の貴重な時間が消費されてしまうことが嫌でした。変わらないモノゴトに時間を使っても無駄と、時間効率で考えていました
確かに個々の投票には小波よりも小さな力で、ちょっとした波や大波で簡単にかき消されてしまい、何も結果に残りません。ですが、その結果が出る過程において、自身の投じた票は確実に使われているのです。投票した候補が当選・落選、いずれの場合においても、自身の投票の結果に生じたモノです。そして政権も決まり社会をリードするリーダーも決まるのが投票ですが、政治に文句を言ったり不満を漏らすにはこの過程が重要に思えています。
外野のガヤなのか参加者の不満なのか
投票しないということは政治活動に参加していない状態。つまり参加者ではありません。参加者じゃない状態で、政治に文句を言ったり不満を持つことは、部外者・外野のガヤでしかありません。何を言おうとも思おうとも、”それなら投票したら ?” という問いに反論出来ません。投票もせずに文句を言ったり不満を漏らすのって、変ですよね。政治の是非だとか、もっとこうなったら良いのに、といった考えや意見があるなら、それを実現できる一番近い候補者に投票すべきです。どの候補者もイマイチに思うなら、選挙に出てみる手段もあると思います。
とまぁちょっと厳しめの考えを記載しましたが、小難しい考えを抜きにしても投票には行った方が良いです。投票の結果で未来が決まります。その未来に、自分の子どもたちは生きて行くのですから。