竜太の癇癪は治らないと思えば楽か
このブログは育児生活を中心に綴っています。子どもたちが 3 歳になるまでは、発熱や下痢といった病状が多く、随分と振り回された生活でしたが、3-4 歳あたりからパタリと落ち着き始めました。それを機に病気になる頻度がグッと下がり、今では就学してもう小学 3 年生。相変わらず竜子は咳き込んだり鼻水・クシャミが酷くなることはありますが、学校や習い事を休む程の悪化は殆ど無くなっています。
そんな感じなので、始めた当初の育児ブログよりも、最近、子どもたちの話に触れる際は子どもたちの勉強のコトだったり習い事に関することに触れることが多くなった気がします。今日触れるのは竜太の癇癪。これももうずっと続いているトピックですけども…。
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誤答を嫌がり暴れる
子どもたちが勉強に着手し、それに伴い私が子どもたちの勉強を見るようになってからもう何年も経ちます。6 年位経ったかもしれません。竜太は保育園に通う頃から自身の誤答を直すのが嫌いでした。年齢重ねるにつれて心が成長して大人に向かっていくので、自身の誤答を通じて自身の至らない点を反省して、成長の糧に考えることが出来るようになる、と信じていたのですが、未だそんな心の成長は確認出来ておりません。今もなお、丸付けの後に間違いがあったときには大騒ぎです。しかも年々、日に日にその騒ぎ方は悪化しているように見えます。心が成長したのではなく、動きが成長したようです。
どうしてそんなに嫌がるのか、未だに謎です。終わったと思っていたものが採点を経て誤答で返ってきてしまい、解き直すという取り組みが続いてしまうので、当初の取り組み時間よりも超えることを嫌がっているのかもしれません。
無いモノと思えばストレス
最近、我が家を悩ます竜太の悪態は、この誤答を嫌がる際の癇癪です。自分の不注意や間違いで誤答となっているのにも関わらず、自身の外に文句をつけるあたり、物凄く道理から外れており自己中心的過ぎるので、何とか直せないモノかと頭を悩まして来ました。
がしかし、ここ数日、少し違った目で見るようになってきました。竜太のコレは他の多くの人のように “無いモノ” ではなく、竜太にとっては “有るモノ” として私は捉え初めています。勿論、こちらの心の余裕次第なので上手く感情をコントロール出来るときとそうでないときとありますが、竜太の癇癪を少し傍観するような感覚を持ちつつあります。これももしかするとトレーニングかもしれません。常識的には “無い” が基準です。なので “有る” ことに腹を立てていましたが、竜太にとっては “有る” ことが普通で、いつか無くなるかもしれないですが、恐らくそれは近い未来ではなくまだまだ先の話なのだと思いますし、無くならないのかもしれません。そんな風に考えると、まぁこれが竜太か、といった感情が湧き、受け入れやすくなる気がします。
子どもたちの年齢を考えたら、そろそろ距離を置かれる年頃も近いです。なので、そのときまで、受け入れることも重要な気がしてきました。