仰げば尊し は不公平なのか

このブログは子どもたちが生まれることを機に始めており、主に育児生活を中心に綴った育児ブログです。育児生活の中で親である私の人生も同時進行していますので、たまに私のことも触れています。今日は私の取り組みをきっかけに考えに及んだことですが、子どもたちにも関係するお話です。3 月下旬なので既に多くの学校で卒業式が開催され、多くの人がその節目に色々な想いを馳せたのではないでしょうか。
そんな季節のためか、私が受けている英会話レッスンの教材でも卒業式ネタがありました。その中で、卒業式の定番だった 仰げば尊し がもう歌われなくなっている話がありました。割とビックリしました。
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先生に対する敬意が不公平
仰げば尊し は私が小学校から高校までの間に何度も聞いてきたこともありましたし、実際に歌ったことも何度かあります。なので、少し練習したり歌詞を見るだけで歌えるようになりそうですが、歌詞の意味はあまり覚えて無かったりします。
先日、いつと通り NativeCamp で英会話に取り組んだ際、いつも使う教材のデイリーニュースの記事が 仰げば尊し でした。どうやら今では学校の卒業式であまり使われていないとのこと。理由は歌詞で伝えているメッセージが、学校への先生への敬意だとか尊敬になっており、最近の生徒と先生間のフラットな関係性と合わないからだそうです。どうやらそういった先生への尊敬は先生が上で生徒が下になり不公平と考えられてしまうようです。
敬意や尊敬の念が自然ではない理由は何か
私が学生の頃だとか、私の親世代が学生の頃は、明らかに先生が一般家庭よりも高い学識を持っており、生徒 (子ども) のみならず親も含み、先生に敬意や尊敬の念を持っていたと思われます。ところが今では教育や学習の水準が随分と上がってしまっており、学校の先生が必ずしもそのコミュニティで一番の有識者という訳でも無くなって来ています。下手をすると親の方がアカデミックな内容に長けていたり、英語も実践で使っていたりするご家庭もあったりします。また、現代社会において知識はかなりの幅や広がりを持っており、必ずしもアカデミックな内容だけが重宝されるという時代でもありません。
こういった背景から、先生のポジションは生徒に近づき、両社は対等な位置づけになったのかもしれません。がしかし、例えば生徒をやる気にさせたり、やる気のある生徒を促して、生徒の夢に近づけてくれる存在であれば、対等な位置づけと思えるでしょうか。そこには多大な感謝とそれに伴う敬意や尊敬の念が生まれると思います。が、そういったケースは恐らく少なくなっているのではないかと思います。教師のお仕事は過酷です。そこまで身を犠牲にして指導に当たることの出来る職場環境や教師が現代社会において果たしてどこまで存在するのか…。やはり時代、ですね。